五高赤門 龍南会雑誌
目次
本館側面
熊本大学附属図書館
Kumamoto University
Library
正面階段  熊本には明治二〇年に旧制第五高等学校が設置され、多方面に優秀な人材を送り出し、ついに「熊本は九州の一都市ではなくて日本の熊本である。漱石の第五高等学校があり、昭和初期、歌壇としては東京と肩を並べるような勢いと熱意がうかがわれる。」(大原富枝)といわれるまでになる。もし五高がなかったらと考えてみると、熊本の近代は恐ろしく貧弱なものになって、どこにでもある一地方都市に埋没してしまったに違いない。
 政治家、官僚、財界人、研究者等、数多くの逸材を輩出している。綺羅星のごとく輝く人々は、この熊本で青春の一時期を共に切磋琢磨して過ごし、第二の故郷としている。大学に入る前の高校の三年間は、エリート集団の自我確立期にあたり、文字通り青春の坩堝(るつぼ)と化していたのである。
 −中略−
 小泉八雲、夏目漱石、木下順二等、熊本の文学といえば、五高の文学といっても過言ではないほどの重い意味を持っている。熊本の近代文学を研究していく際には、明治二〇年創立から昭和二五年まで「地方文化の一大拠点」であった「五高の文学」を総体的に明らかにしていかなければならない。
 首藤基純(「方位」第25号1頁より)
 「龍南会雑誌」(172号から「龍南」と改題)は第五高等学校の校友会誌で、明治24年(1891)11月創刊以来、昭和23年(1948)3月まで全255号が発行された。これは第一高等学校の「校友会雑誌」(後に「護国会雑誌」と改題、明治23年11月創刊、全382号)に次ぐものである。
 「龍南会雑誌」は、ほんのわずかな頁の欠損があるだけで、ほとんど完全な形で残っており、その最終号を除く254冊については、複製本が熊本大学附属図書館で公開されている。