新聞名 記事見出し
毎日 1967 1 6 財政危機をこれで切り抜け、埋め立てにかける水俣市
毎日 1967 1 27 会員は二百人に、「水俣病の子供を励ます会」
熊日 1967 2 3 しゅんせつ近く再開/10カ月ぶり、水俣港の改修工事
西日本 1967 2 4 大型船舶の接岸に備えて、水俣港しゅんせつ
読売 1967 2 9 水俣港しゅんせつ
毎日 1967 2 17 観光みやげに患者の工芸品
熊日 1967 2 28 坂口川河口埋め立て進む<水俣港総合開発>/排水トンネルが貫通、港内しゅんせつも再開
西日本 1967 3 1 河川トンネル貫通、水俣港周辺開発、本格的な土地造成へ
熊日 1967 3 15 「袋湾総合開発」を発表<水俣>/17万平方メートルを埋立て/43年着工へ、合板工場など誘致
西日本 1967 3 15 袋湾の埋め立て開発構想、水俣、十七万平方メートルを造作委、製材、下降工場など誘致
朝日 1967 3 20 ほとんどが社会復帰、水俣の温泉病院、スポーツ療法も効果
西日本 1967 4 19 水俣病とは
朝日 1967 4 19 38人がまだ療養生活、水俣病その後
朝日 1967 4 19 波紋呼ぶ“第2の水俣病”解明/急務、再発防止の手、政府はぼかさず結論を/阿賀野川水銀中毒事件、研究班の報告をめぐって/水俣事件の不手際への批判/被災者、補償要求し訴訟へ/会社は強気公害裁判か/不十分な被災者への援護
西日本 1967 4 20 <社説>第二の『水俣病』と公害対策
朝日 1967 4 26 「水俣病の究明も急いで!」/調査、打切られたまま、不満をぶちまける患者/百人を越える被害者
熊日 1967 5 2 再燃した工場誘致条例問題<水俣市>/橋本市政の新課題に/保革、選挙戦機に活発化/“廃止”は是か否か/市民の間にも両論/<両者の言い分>/大企業への奉仕/中小企業の育成を/市政にもプラス/大会社社員でうるおう/五月市議会に改めて提案
朝日 1967 5 15 <ここに政治を(30)>水俣病は終っていない/後遺症と戦う人々、意識戻らぬ少女も/細い手、なえた足/立上がれぬ子ら/強気の工場側/水俣病日記
朝日 1967 5 15 原因追求うやむや/時間空費の役所調査、学者の意見対立も響く/「良くやった熊大」/欲しい裁定機関/手きびしい責任論
朝日 1967 5 18 朝日賞の賞はい贈る、水俣病研究の三教授に
熊日 1967 6 9 水俣病の政府答弁まとまる
熊日 1967 6 10 すでに“有機水銀”の結論/惣那将愛熊大教授(元熊大水俣病研究班長)の話
熊日(夕) 1967 6 10 原因の究明できず/政府、水俣病で答弁書
西日本 1967 6 10 「水俣病」で政府が答弁書/“工場排水”は未確認、原因究明、当時の化学ではムリ/結論待ち適正処置、阿賀野川事件
西日本 1967 6 10 政府答弁は逃げ口上、有機水銀説、学界も支持、熊大反論
朝日 1967 6 10 「処置猶予で処理」、政府、水俣病事件に答弁書
朝日 1967 6 12 チッソ側との補償契約、すでに妥結、水俣の被災者
毎日 1967 7 30 「僕一人で歩けるよ」/少年、水俣病を克服、二年半の訓練で、補装具、松葉ヅエ使って
毎日 1967 8 22 無機水銀とカーバイトで、“水俣病”発生の恐れ/“可能性”考えられる、水俣病研究者、入鹿山熊大教授語る
毎日 1967 9 18 阿賀野川水銀中毒患者へ資金カンパ、水俣病患者互助会
朝日 1967 9 19 新潟の“水俣病”へカンパ、水俣病互助会が決める
熊日 1967 10 8 公害対策で厚生省構想/患者に「救済基金」/水俣など12地区指定/「紛争処理制度」も設く
読売 1967 10 11 新潟と助け合い、水俣病互助会
熊日 1967 10 25 病魔と闘う10年間、水俣病その後の周辺/重症患者まだ16人、子どもの願い、“いつ学校に行けるの”/悪夢は消えず、重症の十六人
朝日 1967 11 12 漁業権放棄で補償を要求/絶好の漁場に大型船、水俣漁協、夜間操業もあぶない
熊日 1967 11 14 水俣病の子どもを励ます会、1つのクラブ活動の歩み/不孝な実態訴える、黙々、資金カンパの3年
熊日 1967 11 16 「愛の色紙と手芸品の即売会」/水俣病の子供を励ます会
朝日 1967 11 20 くまもと新地図水俣市、芦北郡/水俣市/奇病と争議が痛手に、チッソの盛衰、市を左右