新聞名 記事見出し
熊日 1968 10 1 アルミと水で無害化/九大工学部・坂田助手が発表/有機水銀廃液の処理
熊日 1968 10 1 <県議会を顧みて>最大の収穫“公害防止”/尾を引く副知事問題
熊日 1968 10 1 公害防止に積極方針/県総評、きょう大会へ提案
熊日 1968 10 1 水俣病患者に……と寄付、神戸の職業訓練生
熊日 1968 10 1 水俣病救援に募金本部、水俣市が設置
熊日 1968 10 1 知事に協力を要請/水俣病患者互助会、こんごの補償問題
熊日 1968 10 1 補償は再契約の方向で/知事、江頭社長に要請
熊日 1968 10 1 <死の廃液(3)>補償金で癒えぬ傷痕/ウズ巻く市民間阻害も/政府見解が出て…/複雑な支援組織/長かった苦難の日/日本の公害の原型/ピンチに立つ市民/全国の目、水俣に
西日本 1968 10 1 『チッソ再建に協力』、水俣発展市民会議が決議
西日本 1968 10 1 水俣病患者に見舞い金、川崎車両の訓練生
西日本 1968 10 1 補償交渉の協力を要請、互助会会長ら知事訪問
朝日 1968 10 1 きょう水俣病へ、衆院調査団
朝日 1968 10 1 公害紛争処理と被害者救済、審議会小委案まとまる/地方に苦情処理窓口、損害賠償と別に救済金/審査機関、権限などは未解決
朝日 1968 10 1 水俣病患者に寄付、神戸の修学旅行生
朝日 1968 10 1 水俣病救済に募金本部、水俣市が設置
朝日 1968 10 1 知事らへあいさつ、水俣病患者家庭互助会
読売 1968 10 1 救援募金スタート、水俣病、市に本部を設置
読売 1968 10 1 修学旅行中の職訓生、水俣病に見舞金
読売 1968 10 1 “潜在患者”四人、診察申し出
読売 1968 10 1 知事に補償交渉の協力要請、水俣病患者互助会の代表
毎日 1968 10 1 “公害認定”のお礼、水俣病患者家庭互助会、正副会長が知事訪問
熊日 1968 10 2 愛の献金運動を呼びかけ/水俣ボウリングセンター
熊日 1968 10 2 患者互助会代表きょう上京
熊日 1968 10 2 “被害者救済法に全力”/次国会で成立図る/衆院水俣病調査団が現地視察/悲惨な症状におどろく/“苦しみ、よく分かる”/調査団、被害者に資金カンパ
熊日 1968 10 2 募金運動本部が発足/水俣病救援、チッソ新労130万贈る
西日本 1968 10 2 <記者手帳>
朝日 1968 10 2 チッソ水俣新労が寄金、水俣病救援募金本部
朝日 1968 10 2 <公害、その解決を阻むもの(7)>
朝日 1968 10 2 衆院特別委、水俣へ
朝日 1968 10 2 出水市役所も訪れる、チッソ社長ら
朝日 1968 10 2 水俣病の補償金請求額、遂にまとまらず/患者互助会
朝日 1968 10 2 <声>爆発説を証明して、水俣病、大島氏発言に義憤/公害防止審判所の設置を
朝日 1968 10 2 無気力な検察・警察/「医学的な結論を」、十年間前進せず
読売 1968 10 2 「救済へ法案提出」、衆院公害委、水俣を視察
読売 1968 10 2 水俣病救援募金本部スタート/善意の反響続々
毎日 1968 10 2 チッソの新労が130万円寄託、救援募金本部が発足
毎日 1968 10 2 チッソ患者を見舞う、衆院公害対策委、チッソ工場も視察
毎日 1968 10 2 水俣病の潜在患者発見に、全市民の検診を、地方医師会が申入れへ
毎日 1968 10 2 水俣病患者、28年以前にも?、遺族が訴え、「症状がそっくり」
熊日 1968 10 3 <きょうの発言>水俣病の教訓
熊日 1968 10 3 “十分な補償と工場再建を”/日窒労組がチラシ
熊日 1968 10 3 水俣病患者、支援を決議、県総評大会、議長には馬場氏
熊日 1968 10 3 水俣病潜在患者、きょう再検査第一号/“真実の解明”訴え、山口さん、十年間、苦しい闘病/“改めて詳しく検査”、三島副院長、本人の申し出で語る/白黒をはっきり、山口さんの手記
西日本 1968 10 3 水俣病互助会が上京
西日本 1968 10 3 水俣病対策県民会議を結成、熊本県総評、支援も決議
読売 1968 10 3 きょう厚相にあっせん依頼、水俣病患者互助会
読売 1968 10 3 一人百円カンパ、水俣病対策県民会議結成へ、県総評
毎日 1968 10 3 熊本県総評がカンパ
毎日 1968 10 3 「公害との戦い」取上ぐ、県総評が運動方針に
毎日 1968 10 3 補償で厚相と相談、水俣病、互助会代表が上京
熊日 1968 10 4 運動会を取りやめ/<水俣商議所とチッソ新労>/経費を患者救済に/工場も復興祭を中止
熊日 1968 10 4 “救済法”の実施を/橋本市長、要望に上京
熊日 1968 10 4 山口さん再検査受ける
西日本 1968 10 4 水俣病の再検診希望相つぐ
西日本 1968 10 4 補償でもよろしく、水俣病、交渉委員が厚生省に陳情
朝日 1968 10 4 厚生省で話合い、水俣病、患者家庭互助会員
朝日 1968 10 4 私も水俣病?、山口さん検診受ける
毎日 1968 10 4 二人を精密検査、水俣病潜在患者さぐる
熊日 1968 10 5 水俣病“補償要求は当然”/“交渉の労も惜しまぬ”/園田厚相、陳情の互助会に約束/補助引上げを、特殊学級で橋本市長も陳情
西日本 1968 10 5 『補償仲介たのみます』、水俣病患者が厚相に陳情/橋本水俣市長も
朝日 1968 10 5 “どうもお世話に…”、水俣病被災者代表ら厚相訪問/今後も助言を、厚相、“仲介、知事か市長で/知事か国が、市長、あっせん語る”
読売 1968 10 5 厚相、交渉あっせんを約束/水俣病補償/「進まない時は…」、陳情の患者代表13人に
読売 1968 10 5 自治労県大会、10・8スト決める、水俣病患者に百円カンパ
毎日 1968 10 5 9日、公害認定後初の会合、水俣病患者審査会
毎日 1968 10 5 厚相、交渉仲介を約束、水俣病補償、患者互助会の陳情で
熊日 1968 10 6 水俣病は解決したか/忘れられた“同罪”、空し、市民会議の努力/あえて「市民会議」に言う、批判は私にハネ返ってきても、藤川治水
朝日 1968 10 6 水俣病患者へ募金、修学旅行で大阪の中学生
熊日 1968 10 7 厚相、『公害保険』の検討指示/補償の制度化へ、“企業の加入”などに難問
熊日 1968 10 7 死者は千三百万円、水俣病互助会、補償要求額決める
西日本 1968 10 7 <ニュースと人>
西日本 1968 10 7 まず体制固めに全力、公害問題、きびしい姿勢で
西日本 1968 10 7 公害保険つくろう、園田厚相が指示/企業側が『きょ出』を、早期の被害者補償はかる/財界への説得がカギ
西日本 1968 10 7 水俣病補償要求案決まる、死亡者は1300万円、患者家庭互助会、あすから会社と交渉/<解説>生存者は一律、死者の要求額、自動車保険から割出す
朝日 1968 10 7 死者は千三百万円、水俣病患者家庭互助会、補償要求額決る/患者は年に六十万円/<解説>苦労した算定の基準
朝日 1968 10 7 <日本の中の熊本、郷土開発のためのレポート、第3部R>生活/公害対策/国の施策待つだけ/話にならぬ県・市の予算
朝日 1968 10 7 「要求通るまでは…」、水俣病の補償請求額、不満顔の家庭も
読売 1968 10 7 水俣病、補償要求案きめる/死者は千三百万円、胎児も年金に変更、“交通事故”を基準/互助会
毎日 1968 10 7 企業の「公害保険」を検討/死亡や損害を補償、厚相指示、危険工場は強制加入
毎日 1968 10 7 死者に千三百万円、あすから直接交渉、水俣病補償で互助会/<解説>現実交渉考えて減額の水俣病互助会の補償要求/交渉難航しそう
毎日 1968 10 7 <問題点>、公害行政、足並みそろわず立遅れ
熊日 1968 10 8 補償交渉申し入れ、水俣病互助会、きょう正式に第一回
熊日 1968 10 8 死者は千三百万円/水俣病互助会、補償要求額決める
西日本 1968 10 8 きょう初交渉、水俣病補償、会社側も同意
西日本 1968 10 8 <春秋>(水俣病の再補償交渉始まる)
朝日 1968 10 8 きょう補償交渉、水俣病患者互助会
読売 1968 10 8 1日も早い妥結を、水俣病補償/雑音抜きの“対話”へ、市民も静かに見守る
読売 1968 10 8 義援金38万円盗まる
読売 1968 10 8 水俣病、きょうから補償交渉/8年11カ月ぶり、工場側、互助会申し入れ快諾
毎日 1968 10 8 きょうから折衝、水俣病の補償問題、双方が開催に合意
熊日 1968 10 9 希望者の再診受付け、県水俣病患者審査会、診定方針を決める
熊日 1968 10 9 <水俣病>補償交渉始まる/互助会、要求書渡す/社側に額の明示を要望/“がんばれ”の声あとに/結論物語る疲れた表情/<解説>対決よりも話し合いを
熊日 1968 10 9 政府見解で通産省あやまる
西日本 1968 10 9 会社回答を早く、水俣病互助会要求、補償交渉始まる
西日本 1968 10 9 申し出あれば再審査、水俣病審査会開く
朝日 1968 10 9 要求書を提出、水俣病補償交渉
読売 1968 10 9 「会社の誠意を期待」、水俣病補償交渉、声はずむ家族や患者
読売 1968 10 9 “水俣交渉”はじまる/要求書を手渡す、9年ぶりの顔合わせ/<解説>公害補償のモデルケースに、他企業、患者の注目の中で
読売 1968 10 9 類似症状の死者審査しない、水俣病患者診査委
毎日 1968 10 9 補償交渉始まる、“契約書”にはこだわらない/水俣病
毎日 1968 10 9 類似病での死者認定は無理、水俣病審査会が結論
熊日 1968 10 10 水俣病救援募金本部に寄金相次ぐ
西日本 1968 10 10 遅れたのは企業圧力ではない、水俣病政府見解で通産相
朝日 1968 10 10 死者の判定は不可能と結論、水俣病検査
熊日 1968 10 11 厚相、医療救済を確約/橋本水俣市長帰任談、特殊学級費も善処
毎日 1968 10 11 水俣病救援募金、百五十万円超す
熊日 1968 10 12 水俣病患者に八百万円贈る、県遺族会青年部がカンパ
熊日 1968 10 13 汚れた空気と水/公害問題の解決について/推進のカギ地方自治、民主的に住民の立場で
熊日 1968 10 13 <視点>十五年の意味
熊日 1968 10 13 “水俣病、ご心配なく”、入鹿山教授の資料携え、湯の児温泉観光協、誤解ときに宣伝隊
毎日 1968 10 13 医学的な因果を聞く、新潟水俣病で出張裁判
熊日 1968 10 15 “威力”をまざまざと/あくまで“庶民の味方に”/水俣病患者家庭互助会長、山本亦由氏
熊日 1968 10 15 武内、入鹿山教授が証言/“新潟水俣病”の証人調べ
西日本 1968 10 15 武内教授が証人、新潟水俣病出張証人調べ
毎日 1968 10 15 阿賀野川訴訟証人調べ開く、熊本地裁
熊日 1968 10 16 死の海、回復に向かう<水俣湾>/水銀汚染度下がる/入鹿山熊大教授が証言、一部は基準以下に
熊日 1968 10 16 水俣病を映画で証言/“新潟訴訟”の証人調べ、熊大二教授が出席
熊日 1968 10 16 水俣病患者へ愛の手を/倉岳町青年団、街頭で募金呼びかけ
西日本 1968 10 16 熊大2教授が証言、第2水俣病の証人調べ
朝日 1968 10 16 “地域”に貢献する地方大学/自信と使命感育つ、根をおろした若い情熱
読売 1968 10 16 街頭募金呼びかけ、天草の倉岳町青年団
読売 1968 10 16 水俣病患者への救済募金、150万円を越す。県外からも善意の名のり
熊日 1968 10 17 患者救済さらに強化/水俣市、水俣病に総合体制
熊日 1968 10 17 <私たちと水俣病>/深き淵/患者の痛みを共に
熊日 1968 10 17 社側、あっせん申請か/水俣病補償、互助会要求額に難色
西日本 1968 10 17 患者救済さらに強化、水俣市、水俣病に総合体制
西日本 1968 10 17 社側、あっせん申請か、水俣病補償、互助会要求額に難色
朝日 1968 10 17 水俣病を追って/新聞週間特集座談会/残念な第二水俣病、発生でやっと企業責任/死児を孝行よばわり、冷たい世間、“世話かけなかった”と/主張を弱めたい悔い、国の機関は加害者側に/記者には話すな、互助会幹部も口とざす;/問題意識不足、公害への施策見守ろう
毎日 1968 10 17 <水俣病、公害認定はされたが(1)>再び無関心の波、もう一度考えてみよう
熊日 1968 10 18 水俣病資料集めて十数年、水俣市の黒木さん/新聞、雑誌にテープ、将来は出版も計画
毎日 1968 10 18 <水俣病、公害認定はされたが(2)>世論?に気がね、10年間を耐えた、患者・遺族
熊日 1968 10 19 水俣病と呼ばないで/水俣市発展市民協、厚相に助力を陳情
熊日 1968 10 19 第三者のあっせんも/患者互助会とチッソ、24日に第2回交渉
熊日 1968 10 19 負担は国、地方、企業同列で、公害審が救済制度で意見書/中央に扮そう処理機関、対置入り検査の権限も/政府、意見調整で難航必至/<解説>破れなかった“企業の壁”
朝日 1968 10 19 「発生の心配ない」との見解、厚相、出せぬと回答、水俣病で市民協に
読売 1968 10 19 24日から第二回交渉
読売 1968 10 19 厚相に補償円満解決を要望、水俣市民協
毎日 1968 10 19 <水俣病、公害認定はされたが(3)病む水俣を象徴、患者が背を向けた、市民大会
熊日 1968 10 20 <水俣病補償額>チッソ、政府の見解質す/“モデル基準”指示要望/公害認定初のケース、産業界の影響考慮
西日本 1968 10 20 補償基準の作成要求、水俣病、チッソが通産・厚生省に
朝日 1968 10 20 もたつく補償交渉、水俣病、市民に二つの動き
毎日 1968 10 20 <水俣病、公害認定はされたが(4)>こわい市民感情、遺族、口にできないウラミ
熊日 1968 10 21 “明確な補償額求める”/水俣病患者家族互助会/第二回交渉を前に協議
西日本 1968 10 21 金額回答できるまで自主交渉、水俣病患者互助会交渉委
朝日 1968 10 21 補償の会社案を示せ、水俣病患者家族互助会、第2回交渉方針決る
読売 1968 10 21 補償交渉を前に委員会、水俣病互助会
熊日 1968 10 22 さっそく“水俣病”学ぶ/第18回、熊日教養大学始まる
熊日 1968 10 22 県公害対策審、行政機構の充実を/“水俣病”で知事に要望へ
読売 1968 10 22 チッソ水俣工場を視察、健康害対策審
熊日 1968 10 23 近く全患者を再診断/<水俣病診査会>/“症状の変化調べる”/補償交渉に影響か
毎日 1968 10 23 あす第二回補償交渉、水俣病互助会とチッソ
毎日 1968 10 23 <水俣病、公害認定はされたが(5)>“補償”?の交渉へ、患者互助会、交通事故を参考に
毎日 1968 10 24 <水俣病、公害認定はされたが(6)>誠意ない初交渉、患者・遺族は期待はずれ
熊日 1968 10 25 話し合い進まず、チッソ側の態度、“国の尺度待ち回答”、第2回水俣病補償交渉/報告会で激しい応酬、“弱気”の声に会長怒る/わび状突き返す、互助会、“社長の印鑑がない”
西日本 1968 10 25 水俣病公害補償交渉進展せず
読売 1968 10 25 会社側、回答避ける、第一回水俣病補償交渉
毎日 1968 10 25 チッソ、金額示さず、水俣病の補償交渉、進展なし
毎日 1968 10 25 <水俣病の公害認定はされたが(7)>支援の声いずこ、互助会補償要求に無言
毎日 1968 10 26 <水俣病の公害認定はされたが(8)>審査会も見放す、救われぬ未認定患者
西日本 1968 10 27 二百万円超える、水俣病救援金
熊日 1968 10 29 <九州経済の百年(59)>戦後日本と九州経済(9)、高度成長のひずみ@、水俣病/工場の歴史を背景に、根源は“企業の城下町”
熊日 1968 10 29 水俣病患者に見舞い金、都立小金井工高生が県調教事務所に
熊日 1968 10 29 平和交渉積み重ねる<水俣病患者家庭互助会>/早急に補償額提示求む/あっせん依頼、その後に
読売 1968 10 29 補償額で厚生省の見解聞く、近く水俣病互助会
熊日 1968 10 30 水俣病患者支援の街頭カンパ、中央紡績労組婦人部