新聞名 記事見出し
熊日 1968 11 1 水俣病患者に見舞い金、中央紡績婦人部
熊日 1968 11 1 “要入院”まだ十人も/水俣病患者、治療体制を強化へ
西日本 1968 11 2 <輝かしい業績、第27回西日本文化賞>学術文化部門、「水俣病研究」の功績、熊本大学医学部水俣病研究班/公害究明への挙学一致、地域と密着、政府動かす
朝日 1968 11 3 進まぬ補償交渉、水俣病/再び厚相に陳情へ、互助会、よろめく“同一歩調”
西日本 1968 11 4 水俣病の熊大研究班など、6死と1団体、西日本文化賞贈呈式
朝日 1968 11 4 水俣病をテーマに創作劇/公害への怒りこめて、飯塚で素人のグループ上演
熊日 1968 11 5 厚相に再び陳情へ/水俣病交渉委、補償額で見解きく
熊日 1968 11 5 出水市の潜在患者も/水俣病審査会が診断
読売 1968 11 5 水俣病の子へ10万円、ロータリークラブが寄贈
読売 1968 11 5 水俣病患者代表が上京
熊日 1968 11 7 水俣病の補償交渉/解決へ第三者機関/互助会の陳情、厚相も協力を約す
朝日 1968 11 7 交渉は第三者機関で、水俣病の補償、園田厚相と意見一致
読売 1968 11 7 「補償交渉進まぬ」、水俣病患者互助会、厚相に打開策陳情
毎日 1968 11 8 新段階にはいった水俣病補償問題/あっせんか訴訟か、患者家庭互助会、きょうかあすにも総会/“三者機関”に強い不信感
毎日 1968 11 8 水俣病対策県民会議発足へ、県総評、15日決定
朝日 1968 11 9 足なみ複雑、水俣病互助会あす総会
熊日 1968 11 11 第三者機関に依頼か/患者互助会総会、水俣病の補償交渉
西日本 1968 11 11 第三者への解決依頼、15日の交渉後に決める、水俣病互助会の総会
朝日 1968 11 11 次回も自主交渉に、水俣病患者互助会決る
読売 1968 11 11 金額回答なければ知事あっせん依頼/水俣病患者互助会
西日本 1968 11 12 入院の長欠児に朗報、水俣市立病院に“療育学級”
朝日 1968 11 12 潜在患者の検査始る、水俣病
読売 1968 11 12 「療養児童も勉強を」、病院内に分校設置案上程、水俣市会/橋本市長は病欠
熊日 1968 11 13 “第三者機関の設立、チッソは異存ない”/秋山総務部長談
西日本 1968 11 14 出るか真性患者、水俣病患者診査会が予備診断
読売 1968 11 14 受診希望者を診断、水俣病患者審査会
熊日 1968 11 15 厚相に再び陳情へ、水俣病交渉委、補償額で見解きく/出水市の潜在患者も、水俣病審査会が診断
熊日 1968 11 16 患者支援に県民会議/水俣病、県総評、発足決める
熊日 1968 11 16 水俣病の補償基準/第三者機関に依頼へ/互助会決める、会社側は金額示さず/要求にそった線で/互助会、第三者機関に申入れへ
西日本 1968 11 16 知事中心の第三者機関、会社側が提案、水俣病補償基準で
朝日 1968 11 16 二十日ごろ発起人会、県総評、水俣病の県民会議
読売 1968 11 16 第三者にあっせん依頼、水俣病補償交渉
毎日 1968 11 16 患者支援に県民会議、水俣病、県総評、発足決める
毎日 1968 11 16 知事中心の調停依頼へ、水俣病の補償交渉、また金額回答なし
西日本 1968 11 21 社会科授業に「水俣病」熊本市竜南中/“暗過ぎる”一市教委、正しい目養うと賛成論も
熊日 1968 11 22 反響よんだ“水俣病授業”、出席者に賛否両論、熊本市竜南中、研究発表会で問題に
西日本 1968 11 26 もたつく補償交渉、水俣病、火中のクリー基準作り、注目される知事の処理
西日本 1968 11 27 生活の譜/社会復帰への助け人、水俣病患者にも訓練治療
熊日 1968 11 28 第三者機関へ、指導要望、早くして/水俣病患者互助会、会社側に申し入れ
熊日 1968 11 28 “勇気ある行動に感服”/水俣病原因究明のきっかけつくる/伊藤部長に厚相感謝状
西日本 1968 11 28 厚生大臣から感謝状/伊藤熊本県衛生部長に、水俣病の原因究明で功績
読売 1968 11 28 伊藤さん(熊本県衛生部長)に感謝状、厚相、水俣病解明のきかけ
読売 1968 11 28 早く第三者機関をチッソ側に依頼希望、水俣病患者会
熊日 1968 12 1 水俣病補償の行くえ混とん/県、基準の提示に難色、チッソ・互助会、「見舞金」でも対立点
熊日 1968 12 3 最終結論は来年に/水俣病の潜在患者、精密検査終わる
熊日 1968 12 4 補償解決に助力を/<水俣病>/チッソが知事に文書/“第三者機関”にはふれず
西日本 1968 12 4 県の特別配慮を依頼、チッソ、寺本知事へ文書提出
西日本 1968 12 4 補償基準は厚生省で、知事、水俣病で語る
毎日 1968 12 4 「まだ意見はいえない」、寺本知事、水俣病補償交渉で語る
読売 1968 12 7 <ニュース’68(7)>水俣病の公害認定/“愛の手”道開く、補償など宿題山積み
西日本 1968 12 8 <人>水俣病で厚相から感謝状を受けた熊本県衛生部長、伊藤蓮雄
熊日 1968 12 11 条件まだ整わず、水俣病の補償あっせん/寺本知事・記者会見で語る/“好意で出す”というチッソとは見解が違う/“法的義務”のはず/もっと当事者で交渉を/“恵みで”とは言わぬ/入江チッソ専務、知事発言内容を否定/だれに相談していいのか…/渡辺助役、知事にあっ旋依頼
西日本 1968 12 11 チッソの要請断わる、寺本知事、“水俣病仲介”で表明
読売 1968 12 11 第三者機関設けない、熊本、水俣病の補償で知事
毎日 1968 12 11 第三者機関作らぬ、水俣病補償、熊本県知事語る
毎日 1968 12 12 <ことしの私F>水俣病と取組んだ、日吉フミコさん、(水俣病対策市民会議会長)/白い目で見られて/病気の子供にショック、先生やめ市会議員に、企業大事でタブーに
毎日 1968 12 12 早期妥結は困難に、水俣病補償交渉、知事あっせん拒否で/<解説>チッソペース断わる、交渉成否は世論の支持に
熊日 1968 12 13 “私は仲介できない”/水俣病補償の第三者機関設置/知事、互助会の申し入れも断わる/“機が熱せばお世話を”/交渉、振り出しに逆戻り
西日本 1968 12 13 寺本知事に第三者機関の設置陳情、水俣病互助会
読売 1968 12 13 水俣病患者の医療救済立法化を急げ/県会で意見書を採択
読売 1968 12 13 第三者機関設けぬ、熊本県知事、水俣補償で回答
毎日 1968 12 13 水俣病の補償あっせん/知事「両見解に開き」と、患者側にも断わる/<解説>患者側のチッソ不信強まる
毎日 1968 12 13 水俣病の補償交渉は二十五日に
熊日 1968 12 14 あす打開策を検討/水俣病患者互助会、補償額提示要求へ
熊日 1968 12 14 治療研究費に二百万円/政府から初の助成金
熊日 1968 12 16 ’68年県内ニュース・ハイライト(1)/水俣病の公害認定/15年ぶりに患者に光り/進まぬ補償、救済策
熊日 1968 12 16 互助会員に特別見舞い金、チッソ水俣支店
熊日 1968 12 16 自主交渉一本で進む/水俣病互助会、支援団体受け入れも
西日本 1968 12 16 20日に交渉再開、水俣病公害補償、互助会、強い態度へ
朝日 1968 12 16 20日に交渉を、水俣病互助会が申し入れ
読売 1968 12 16 20日に第四次交渉、水俣病患者互助会、工場前にすわり込み
毎日 1968 12 16 水俣病研究費を予算化
西日本 1968 12 19 25日に第4回交渉、水俣病の公害補償
毎日 1968 12 19 水俣病の補償交渉は二十五日に
熊日 1968 12 20 二十五日に第四回交渉/互助会とチッソ
熊日 1968 12 20 “補償基準の提示を”/水俣病、チッソ、厚生省に要望
朝日 1968 12 21 「すわり込みも辞さぬ」水俣病患者、会社側の意向次第で
読売 1968 12 24 <師走拝見F>いつ“ホームXマス”、水俣病の子
西日本 1968 12 25 水俣病補償の促進を、“百人アピール委”呼びかけ、福田令寿氏(熊本市名誉市民)
朝日 1968 12 25 被害者につめたい市民、水俣病/補償要求に“欲が深い”、会社も口先だけで不誠実/正当な補償を、文化人声明
読売 1968 12 25 文化人らに呼びかけ、水俣病、「百人アピール起草委」発足
毎日 1968 12 25 水俣病患者への支援相次ぐ/補償と公害防止を、百人アピール起草委、全国に“訴え”で呼掛け/アピール署名者
熊日 1968 12 26 寒空に座込んで待機、互助会員、交渉物別れ、暗い年の瀬
熊日 1968 12 26 進展せぬまま越年/水俣病交渉、チッソ補償額示さず
熊日 1968 12 26 伊藤、大橋氏に感謝状/熊大医学部、水俣病の研究に協力
西日本 1968 12 26 互助会も政府陳情へ、水俣病補償交渉、“基準を明示して”/弁当持参で交渉
朝日 1968 12 26 自主交渉進展せず、水俣病補償、会社側、仮払い断る
毎日 1968 12 26 年を越す補償交渉、水俣病/「34年を繰返すな」、患者互助会、会社への不信深める/交渉また物別れ
熊日 1968 12 27 <68年、わが家の10大ニュース(10)>水俣病対策市民会議会長、日吉フミコさん(53)/念願の“公害認定”達成、父の死と孫幼稚園入園
西日本(夕) 1968 12 27 年越す水俣病交渉、会社側、“国の補償基準まで”
読売 1968 12 28 水俣病補償基準で県に依頼、助役と市会議長
毎日 1968 12 28 県の協力を陳情、水俣病で水俣市助役
読売 1968 12 29 厚生省が具体案検討、知事語る、水俣病補償に前向き
読売 1968 12 29 難航の水俣病補償/問題点をさぐる/大切な対話交渉、会社の誠意回答に期待
毎日 1968 12 29 水俣病補償で話合う、知事と山本厚生次官