新聞名 記事見出し
熊日 1970 5 1 会社側の姿勢に抗議、市内をデモ行進、水俣病を告発する会
熊日 1970 5 1 <水俣病補償>/千種座長が記者会見/あっせん案、下旬にも提示/年齢、病状に応じ支給/強制せず、細かい点でなお検討
西日本 1970 5 1 一時金と年金支給、水俣病補償大綱まとまる
西日本 1970 5 1 水俣で抗議デモ、「告発する会」
朝日 1970 5 1 合同で抗議・デモ、水俣病訴訟派など四団体、市長の考えただす
朝日 1970 5 1 生存者にも一時金、水俣病補償処理委、千種座長語る
読売 1970 5 1 水俣病、死者には一時金、あっせん案大鋼まとまる
毎日 1970 5 1 あっせん案固まる、水俣病補償委、見舞金契約に上積み
毎日 1970 5 1 水俣病で抗議行動、告発する会員ら
朝日 1970 5 2 裁判勝利を訴え、水俣病患者の家族代表
西日本 1970 5 4 <解説>“18年の苦悩の代償”には低い「つかみ金」/強い不満の空気
西日本 1970 5 4 水俣病に補償案、処理委まとめる/年金(生存患者)32万円まで、死者一時金は最高300万円/双方に提示
熊日 1970 5 5 あっせん案24日にも提示<水俣病補償処理委>/“和解額”より若干増額/重患は介護手当て支給
朝日 1970 5 7 タタミ教えて大喜び、水俣病の子らに新校舎
熊日 1970 5 11 調印へ意向固める/<交渉委員に6氏を追加>/厚生省、24日に上京要請/水俣病補償一任派
西日本 1970 5 11 13人の代表決める、水俣病の厚生省一任
朝日 1970 5 11 24日に提示?、水俣病補償調停案
読売 1970 5 11 水俣病補償額交渉委に一任、互助会一任派
毎日 1970 5 11 一任派、委員に全権、水俣病補償、交渉解決の見通し
西日本 1970 5 12 病床に執念の灯、水俣病発見者の細川さん/未公表資料残したい、裁判、証人尋問で新局面も/細川博士に臨床尋問を、患者側弁護団が発表
毎日 1970 5 12 「人権無視の補償案」、公害対策連絡会議、水俣病処理委へ抗議
熊日 1970 5 13 補償の細部をさらに検討/水俣病補償処理委
熊日 1970 5 13 補償金が低額ならば、公害撲滅できぬ、水俣病訴訟派など、上京、抗議行動へ
朝日 1970 5 13 44年度の「公害白書」(要旨)/<解説>企業責任はタナ上げ、健康への影響など黙殺
毎日 1970 5 13 細川氏を証人尋問に、水俣病賠償、原告側弁護団が申請
毎日 1970 5 13 水俣病、訴訟きょう上京、あっせん案反対行動へ
熊日 1970 5 15 遺影抱き窮状訴える、水俣病患者家族らチッソ本社に座り込む
熊日 1970 5 15 水俣病補償の意向質す/渡辺訴訟派代表らがチッソ本社幹部に
熊日 1970 5 15 厚生省玄関に座込み/水俣病、訴訟派代表ら14人
西日本 1970 5 15 弔旗立てすわり込み、水俣病患者訴訟派代表、チッソ本社前に、東京
朝日 1970 5 15 チッソ本社前にすわり込み、水俣病患者ら
朝日 1970 5 15 遺影胸にすわり込み、水俣病患者ら、チッソ本社へ抗議
朝日 1970 5 15 水俣病患者に募金、修学旅行中の神戸の女高生
読売 1970 5 15 一任派は下旬調印へ
読売 1970 5 15 水俣病告発派、東京で、30人すわり込み
毎日 1970 5 15 チッソ本社前にすわり込み、水俣病患者ら
毎日(東京) 1970 5 15 チッソ本社前にすわり込み、水俣病訴訟派
西日本 1970 5 16 厚生省に抗議の弔旗、水俣病患者らすわり込み
西日本 1970 5 16 厚生政務次官と会見
朝日 1970 5 16 「軽くあしらわえた」、水俣病陳情団、冷たい次官、怒る患者
毎日 1970 5 16 厚生省前にすわり込み訴える、「十分な補償を」と水俣病患者ら
毎日 1970 5 16 補償委、今月末に結論、水俣病、金額やや上積みへ
熊日 1970 5 17 あっせん案は25日提示/水俣病補償処理委、19日に最終調整
西日本 1970 5 17 25日あっせん案、水俣病補償処理委員会
朝日 1970 5 17 25日に補償案
朝日 1970 5 17 「人間を返せ」の訴え、熊本→東京 水俣病陳情団ルポ/振向かぬ東京の人、「恐ろしかことを知らん」
熊日 1970 5 18 “見舞い金契約無効なら/既に時効が成立”/水俣病裁判、チッソが準備書面
毎日 1970 5 18 あっせん案阻止へ、東京で、水俣病を告発する会
西日本 1970 5 19 “時効”が新たな争点に、水俣病裁判、あす第4回口頭弁論
朝日 1970 5 19 水俣病訴訟、原告の損害賠償請求権/会社側が時効を主張/あす第四回口頭弁論
読売 1970 5 19 損害賠償もう時効/水俣病訴訟、会社側、書面出す、公判、新たな争点に
毎日 1970 5 19 「損害賠償は無効」、水俣病訴訟、会社側が書面
熊日 1970 5 20 あっせん案煮詰まる<水俣病補償処理委>/患者には渋い内容か/和解契約にやや上積み、25日に双方に提示
朝日 1970 5 20 <声>血も涙もない応対、橋本次官の発言に思う/測隠の心失った政治
熊日 1970 5 21 25日にあっせん確認/水俣病補償処理委、最終的な詰めに
熊日 1970 5 21 チッソ、時効を主張、水俣病訴訟口頭弁論/ネコ実験は認める、原稿側、強く釈明を要求、近く細川氏(元チッソ病院長)を臨床尋問
熊日 1970 5 21 一任派代表13人、あす上京
西日本 1970 5 21 5年ごとに改定、水俣病補償処理委、和解契約原案まとめる
西日本 1970 5 21 <ひろば>水俣病を写し続ける、アマチュア写真集団/公害の恐ろしさ訴え、患者も徐々に理解みせる/写したフィルムは百本/ピシャッと取材拒否も/辛抱強く患者家族を説得/モデル写すより勇気がいる
西日本 1970 5 21 事実審理、終わらず、水俣病裁判、傍聴席から“人殺し”、熊本地裁/<解説>処理委の結論響く?
朝日 1970 5 21 一任派あす上京
朝日 1970 5 21 <今日の問題>高飛車
朝日 1970 5 21 不信むきだし激しい応酬/水俣病訴訟第四回口頭弁論開く、「社長のワビ上、ウソか」、患者側、廃液説の証拠出す
朝日 1970 5 21 法廷にうずまく怒りの声、水俣病裁判/「この子ば見てみい」、激しくつめよる患者たち
毎日 1970 5 21 時効めぐり激論、水俣病訴訟の口頭弁論、賠償責任を追及
毎日 1970 5 21 新しい小学校教科書、10年ぶりに大改定/神話、ぐんと復活、算数・親が習わぬ概念も/水俣病・解決ずみ?扱い
熊日 1970 5 22 きょう最後の詰め/水俣病補償処理委、あっ旋案の調整続く
朝日 1970 5 22 場所は厚生省の会議室、25日の水俣病補償案提示
読売 1970 5 22 きょうあっせん案、提示は25日、水俣病補償で処理委
熊日 1970 5 23 一任派代表が上京/水俣病補償、秘密行動で雲隠れ/あっせん案阻止へ/東京で抗議集会やデモ
西日本 1970 5 23 エチル水銀も規制、水質審議会が答申
西日本 1970 5 23 石牟礼道子さんも出席、抗議行動成功させる会
西日本 1970 5 23 「阻止」避け、ひそかに、水俣病調停派の13人上京
毎日 1970 5 23 水俣病一任派ひそかに上京、告発する会の妨害恐れ
毎日 1970 5 23 父に託す“小さな訴え”、早く補償の解決を!/水俣病の少女が「こうせい大臣さま」/作文、交渉団と上京、「いつまでも心配させないで」
熊日 1970 5 24 あす水俣病あっせん案<補償処理委>/双方代表に同時提示/異論には多少の修正も/患者側の出方が問題/一任派いぜん雲隠れ/訴訟側の動き活発化
熊日 1970 5 24 “責任への補償示せ”公害をなくする県民会議、アピールを発表
西日本 1970 5 24 あす、あっせん案提示、水俣病補償処理委、調停派に
西日本 1970 5 24 “ごまかし許さぬ”、文化人71人、水俣病補償アピール
朝日 1970 5 24 水俣病、補償案あす提示/「責任償う額示せ」、熊本、文化人らがアピール/渦巻く「期待」、「怒り」、一任派と訴訟派と、共に活発な動き
読売 1970 5 24 あっせん案あす提示、水俣病補償、一任派とチッソに
読売 1970 5 24 水俣病解明のカギ、9年間ひた隠し/経企庁が“圧力”、都立大の研究、有機水銀裏づけ/熊大発表の4年間/「国は責任をとれ」怒りの水俣
熊日 1970 5 25 きょうあっせん案提示/水俣病補償処理委、患者・チッソ双方に
熊日(夕) 1970 5 25 あっせん案提示の朝、現地水俣複雑な表情/安どの中に不安、一任派、訴訟派、“低額、問題にならぬ”
熊日(夕) 1970 5 25 水俣病補償処理委/あっせん案を提示/死者に最高三五〇万/年齢に応じて一時金/生存者年金は最高三八万円/処理委の努力に敬意、寺本知事の話/“あっせん案に不満”、山本会長/“患者の生活を保障”/補償処理委が見解発表/解説>低い“いのちの代償”/注目される裁判への影響/水俣病とその経過
熊日(夕) 1970 5 25 阻止派が座込み、緊迫の厚生省、密室であっせん提示
西日本 1970 5 25 <私の発言>東大工学部助手、宇井純、水俣病患者と補償、公正は見せかけか、誤った“労災適用”、実態を知らぬ委員会
西日本 1970 5 25 水俣病補償案を監視しよう、熊大生がデモで訴え
朝日 1970 5 25 “水俣病のチッソ責任明かせ”、熊大生が市中でも、熊本市
毎日 1970 5 25 あっせん案きょう提示、水俣病補償、原案より上積み/「告発する会」があっせん阻止へ
熊日 1970 5 26 あっせん案は人間性を無視/新日窒労組抗議声明
熊日 1970 5 26 あまりに安い“命の値段”/冷たすぎる補償の数字、唇ふるわす患者代表、深夜まで熱い攻防/“殺人の責任とれ”、厚生省前、終日渦巻く怒りの声/留守部隊も抗議集会、水俣病を告発する会
熊日 1970 5 26 きめの細かい調停案/寺本知事、談話を発表
熊日 1970 5 26 “この苦しみ”もうご免/水俣病患者家族の叫び、子供3人病魔に、残る借金、畑も船も売払う、岩坂さん/他の公害地も強い不満、あくまで企業責任を明確に、血も涙もないあっせん案だ、交通事故の補償よりも少ないとは…
熊日 1970 5 26 “ごまかされてはならぬ”、チッソの責任なぜ追及せぬ、高度成長が起こした“殺人”を弁護
熊日 1970 5 26 第三者機関に“限界”/あいまい、処理委の立場/解説>
熊日 1970 5 26 <解説>低すぎる“命”の代償、注目される裁判への影響
熊日 1970 5 26 <社説>水俣病患者に暖かい手を/低い“いのち”の代償/人命尊重へ世論喚起を
熊日 1970 5 26 <新生面>(水俣病に対する補償処理委のあっせん案は、意外に低い金額)
熊日 1970 5 26 <人の命はいくらか(上)>世界に例のない低額補償、水俣病/むなしい、ひどい、一人金三百五十万円、業苦の果ての死の代償/識者の話、金銭でつぐなえなぬもの、チッソと政府の無責任、鰐淵健之、あっせんはギマン、“大臣さんの命も同じか”、スズメの涙、
熊日 1970 5 26 水俣病の経過
熊日 1970 5 26 水俣病補償あっせん案<全文>/水俣病補償処理案作成の経過と要領(水俣病補償処理委員会)
熊日 1970 5 26 水俣病補償あっせん案、双方難色を示す/患者側、全面増額求む、会社側も受入れしぶる/結論きょうに持越し/双方の意見尊重、補償処理委、千種座長、提示で語る/今後も団結を固める、訴訟派、方針を確認/過失責任なしとはおかしい、人間尊重を考えていない、一見公平だが会社側
熊日 1970 5 26 水俣病補償処理委、あっせん案を提示/死者に最高三五〇万、死亡時年齢に応じて一時金/生存者年金は最高38万円/あっせん案には不満、山本会長談
熊日(夕) 1970 5 26 水俣病補償あっせん続く/額の上積みを示唆/千種座長、早期調印望む処理委/要求妥当なら認める/千種座長記者会見、法律的、常識的に
西日本 1970 5 26 これが“狂死の代償”か!、水俣病補償あっせん案/クチビルかむ未亡人、あまりにも低額、子供の将来どうなる/雨の中、メモ握り絶句/公害裁判に“カセ”弁護団は共闘で破る努力/日窒労が抗議声明
西日本 1970 5 26 やっぱり、これだけ、水俣病補償、複雑、患者、市民の表情/人間軽視の補償額、県民会議が声明、裁判闘争の中で阻止
西日本 1970 5 26 会社の法的責任に触れぬ、水俣病補償処理委の見解、一般の先例にはならない/補償あっせん案(要旨)
西日本 1970 5 26 激しく“告発”の叫び/調停はゴマカシだ、水俣病追跡の学者らも、会場にすわり込む/そのうちみんな毒地獄、水俣病補償案の提示にあたって、石牟礼道子
西日本 1970 5 26 死者に最高350万円、生存者、年金は38万円限度、一時金は190万円まで/水俣病補償あっせん案出る、補償処理委、患者側、強い不満、『見舞い金』は差し引く/<解説>“低い”生命の評価、企業サイドからの判断
西日本 1970 5 26 <社説>水俣病補償額は低すぎる
西日本 1970 5 26 十八年の苦しみ/水俣病補償あっせん案から/ただ“意外”の感、カネで売り買いできない/“心のケリ”が大切、モノ言えぬ患者たち/責任のがれの企業、先列を不安がる声/名をすてて実を取る、水俣病補償あっせん案を読んで、徳本鎮
朝日 1970 5 26 「おめぐみ金じゃ」
朝日 1970 5 26 ひどい!裏切りです…/嘆く一任派患者の家族、水俣病補償/仏壇の前でぼう然、不安、二人の息子の将来
朝日 1970 5 26 交渉、夜に持越す、「告発する会」すわり込み
朝日 1970 5 26 再提示はしたくない、千種補償委座長の話、算定に水俣の平均所得を参考/県民会議が怒りの声明
朝日 1970 5 26 <社説>水俣補償に行政と企業は良心を示せ
朝日 1970 5 26 “人命の安さ”まざまざ/<解説>公害補償に悪例、34年契約を和解とみる/焦点は企業責任追及、結果次第で問題は再燃、訴訟への影響/法廷責任問えぬ、旧契約金、当時は相当額、処理委見解/水俣病年表
朝日 1970 5 26 水俣病の補償案全文
朝日 1970 5 26 補償案聞いてがっくり、水俣病「一任派」の人たち/調印拒否できないか、山本会長らへ、不信感吹出す/ランクわからず態度きめかね/高校生ら60人集会デモ、告発する会
読売 1970 5 26 これが生命の値段か!、水俣病補償あっせん案/「意外」怒る訴訟派、バカにした低額/会社の責任を軽視、裁判の結果にも響く/受け取り方さまざま
読売 1970 5 26 どうなる水俣病裁判/微妙な損害賠償、34年の契約が争点に/国の姿勢疑う、あっせん案に各地の声、裁判で争うしかない
読売 1970 5 26 よみがえれ平和な町、市民の声/割り切れぬ気持、公害補償の試金石、平和的解決を切望、安易な妥協許さぬ
読売 1970 5 26 告発する会が集会、デモ
読売 1970 5 26 最高額、死者に350万円、生存者年金38万円/水俣病補償にあっせん案、処理委/家族扶養も十分考えた、千種達夫座長の話/<解説>要求を大幅に下回る、公害補償に大きな影響
読売 1970 5 26 水俣病補償あっせん案/「意外」怒る訴訟派、人をバカにした低額/「これが生命の値段か!」人間として抗議、鋭く国の不誠実さ突く、石牟礼さん/憤りにたえない、患者ふみにじる/新日窒労組が抗議闘争/会社の責任軽視
読売 1970 5 26 水俣病補償にあっせん案、処理委/最高額、死者に350万円、生存者、年金38万円
読売 1970 5 26 年金は44年4月から、水俣病補償、あっせん案の内容<解説>要求を大幅に下回る、公害補償に大きな影響
毎日 1970 5 26 「あまりにも低額」/怒る水俣の家族たち、「裏切られた」と一任派/「すべて裁判で」訴訟派
毎日 1970 5 26 「これが命の代償か」、水俣病の補償あっせん案/亡夫のうらみ子供の苦しみ、すでに15年、これからも、金子さん一家
毎日 1970 5 26 患者より会社向き/<解説>あっせん案、“過支責任”を軽視、「見舞金契約」を前提に/「不満だ」とただ一言、表情堅く、一任派の山本会長、公害問題かかえる各企業、首脳陣は慎重な態度/法廷でスジ通せ、水俣病補償あっせん案をみて、都公害研究所長戒能通考
毎日 1970 5 26 緊迫の中、激しい抗議、水俣病を告発する会、患者の写真掲げて、厚生省
毎日 1970 5 26 水俣病補償、あっせん案、全文
毎日 1970 5 26 発生から16年半、水俣病は/生命を不当に低く評価、訴訟支援県民会議声明
熊日 1970 5 27 <人の命はいくらか(中)>難航する公害裁判/メドつかぬ結審、いつ手に渡る補償金、企業、患者真っ向から対決
熊日 1970 5 27 <水俣病>補償あっせん案妥結/死亡者最高400万円に/年金もB、Cランク3万円増/双方、厚生省で調印/あくまで慰謝料、千種座長語る/“涙をのんで応じる”/感激とはほど遠い虚脱感/“問題にならない”/精いっぱいの努力/チッソに抗議/水俣病補償の合意内容一覧
熊日 1970 5 27 <水俣病補償>あっせん工作大詰め/一律百万円増額へ、死者/生存者、一時金で折合わず/ほぼ了解点に、患者側と処理委
熊日 1970 5 27 <水俣病補償>怒ったぞ!/動く地元/きょう抗議スト、新日窒労組/市民会議も座り込み・デモ/浮池水俣市長、汗みどろ/大詰めの“調停代役”/肩に重責、苦悩の奔走/石牟礼さんら12人も応援に/扉は堅く…処理委の動きをじっと見つめる報道陣
熊日 1970 5 27 補償問題の口火切った園田元厚相の見解/企業責任ぼかすな/会社の採算とは別問題
熊日(夕) 1970 5 27 お父さん、妥結しましたよ/さっそく墓前に報告、水俣病の患者家庭、“安いが…”あきらめ顔
熊日(夕) 1970 5 27 工場前に座り込む/訴訟派の患者たち
西日本 1970 5 27 きょう霊前集会、水俣病、新日窒労は抗議スト
西日本 1970 5 27 また持ち越す、水俣病補償あっせん、金額上積みで対立、患者側もまとまらず/けさ9時続開/過失がなくとも損害賠償は妥当、内田厚相語る/問題は二つにしぼられた、千種座長語る
西日本 1970 5 27 患者代表に苦悩の色/“これからが正念場”、水俣病補償、心の支えは激励電報/ニュースにクギづけ、涙だけが“怒りの表現、現地水俣
西日本 1970 5 27 大詰めのあっせん、水俣病補償問題/金額を上積みへ、死亡者一時金など、トップ交渉に移る/問題点は二つにしぼられた、千種座長語る/過失がなくとも損害賠償は妥当、内田厚生相語る
朝日 1970 5 27 あっせん、なお難航、水俣病補償、一時金の増額めぐり
朝日 1970 5 27 厳戒の厚生省内、足元から水俣病告発/公害部職員がビラ、患者との連帯呼びかけ/係員がぴったり張番、つんぼ桟敷の患者代表、ランク付けに不満、現地に補償案内容届く/ガンバレと打電、訴訟派も激励に訪問
読売 1970 5 27 水俣病補償で和解調印へ/死亡100万円アップ、会社側、一任派の要求受諾か/無過失責任制を考慮、厚相が語る
毎日 1970 5 27 苦悩の厚生二晩、水俣病一任派代表/疲れた身体ムチうち、厚生省職員も応援/内田さんも、ほろり、水俣病少女の“直訴状”さっそく激励の返事
毎日 1970 5 27 <社説>水俣病補償の提起したもの
毎日 1970 5 27 水俣病補償・深夜の折衝/焦点・一時金積上げ、「生存者」扱いで平行線/公害処理の前例にはならぬ、千種委員長談/無過失責任の法理を立てよ、内田厚生相語る
毎日 1970 5 27 補償案作成の経過と要領(大要)/水俣病補償処理委員会
熊日 1970 5 28 お父さん、妥結しましたよ/さっそく墓前に報告、水俣病の患者家庭、“安いが…”あきらめ顔
熊日 1970 5 28 くやし涙の和解/やっぱり低い水俣病補償、やり場のない不満、山本会長倒れる/もっとほしかった、同情よせる地元市民、「むずかしかった」、千種座長/勝負にならぬ力の差、公害専門家
熊日 1970 5 28 患者代表十三人きょう帰熊
熊日 1970 5 28 公害の企業責任強調/首相、知事代表と懇談
熊日 1970 5 28 <時の人>水俣病補償問題をまとめた、千種達夫
熊日 1970 5 28 「症状基準があやふや」動揺の色隠せぬ訴訟派/父ちゃん返せ!、訴訟派、チッソ工場へデモ/訴訟派は譲歩せぬ、水俣病訴訟弁護団長、山本茂雄弁護士
熊日 1970 5 28 <新生面>(「水俣病補償あっせん妥結」夕刊の大きなカットを見ると、ホッとした)
熊日 1970 5 28 <人の命はいくらか(下)>救済法は発足したが…/“穴だらけ”公害行政、とても食って行けぬ、ほとんど実情を無視
熊日 1970 5 28 水俣病、補償あっせん妥結/死亡者最高400万円に/年金もB、Cランク3万円増/双方、厚生省で調印/紛争処理に新理念を、内田厚相談、生活環境の確保に、両派がうまくいくよう努力、浮池水俣市長の話、患者代表十三人きょう帰熊、チッソに抗議、水俣病を告発する会、
熊日 1970 5 28 水俣病まだ問題山積み、補償あっせん終わったが、過失責任、裁判で、患者に長くつらい日々/紛争処理に新理念を、内田厚相談、生活環境の確保に、政府もコロニー設置に好意的、両派がうまくいくよう努力/伸びない救済の手、望まれる医療・教育施設
熊日 1970 5 28 <水俣病補償>苦悩の合意/三者の表情/疲れ果てた患者代表/チッソ江頭社長、“精いっぱいの努力”/気になる世論の反発、千種座長/堅い表情の調印式/山本会長、ふるえる手でサイン
熊日 1970 5 28 同じ人間の命なのに…、水俣病補償、低額解決の背景、抹村好弘/矛盾多い処理委理論、34年契約は見舞金契約
熊日 1970 5 28 難航した水俣病補償<東京−熊本−水俣 三元記者座談会>/最後まで消えぬ不満/新しい波紋のスタート/深刻だった患者側対立/重苦しかった調印式/“人を守る”第一に/難しい中立的機関/公害行政は積極的に/ほしい広範な市民運動
熊日 1970 5 28 “涙をのんで応じる”感激とはほど遠い虚脱感/あくまでも慰謝料、千種座長語る
熊日 1970 5 28 霊前で抵抗誓う、水俣病市民会議、慰霊・抗議集会開く
熊日 1970 5 28 和解契約書に調印
熊日+ 1970 5 28 “問題にならない”山本茂雄水俣病訴訟原告弁護団長の話、誠意もって実施、江頭豊チッソ社長の話
西日本 1970 5 28 <ある患者代表の手記>滝下松雄、長い生と死の戦い、収入は治療費につぎ込む
西日本 1970 5 28 これでいいのか公害補償/園田元厚相に聞く、死者に等級、納得できぬ、倒産しても責任を、望まれる大胆な行政/記者座談会、“自覚”のない企業、被害は一等国、対策は三等国/総額一億六千万円、水俣病補償一時金/課税対象にならぬ?、調停派の補償金
西日本 1970 5 28 コロニー設置に努める、寺本知事の話
西日本 1970 5 28 渦巻く不満、あきらめ/水俣病補償/交通事故死より安か、やっぱり……こんな金額、地元の表情/怒りのすわり込み、訴訟派/涙ながらの抗議集会/双方協力のおかげ、千種座長、責任果たした顔ほころぶ/厚い相手のカベ、調停派・山本会長、全力投球したが……
西日本 1970 5 28 九大に公害研究所、大学機関は初めて、近く準備発足
西日本 1970 5 28 公害企業つぶれろ!、水俣病補償に思う、カラ念仏の人間尊重、藤田隆
西日本 1970 5 28 <春秋>(調停派に対する補償問題解決)
西日本 1970 5 28 心から笑える日はいつ、水俣病補償・表情と反応、遠い“真の解決”、調停、訴訟派、渦巻く対立意識/公害は隠されてしまう、水俣病補償家庭互助会、一任派の上野隼人さんの話/会社の過失責任追求、水俣病裁判の患者側弁護団の千場茂雄弁護士の話/
西日本 1970 5 28 <人>水俣病補償問題をまとめた、千種達夫
西日本 1970 5 28 政治補償に終る、企業責任にも“逃げ道”
西日本 1970 5 28 調停派、第二次案に調印、水俣病補償が妥結/死者最高400万円に、生存者一時金もアップ/一部に調整金や年金増/<解説>政治補償におわる、企業責任にも、“逃げ道”
朝日 1970 5 28 一任派患者、50万円だけ上積み、死者の最高は400万円に、一部生存者へ別途調整金/水俣病補償交渉が妥結、会社責任ふれぬ前提、千種補償処理委座長の話、一応肩の荷おりた、山本亦由一任派患者代表の話、誠意をもって実施、江頭豊チッソ社長の話、内田厚相談
朝日 1970 5 28 <社説>さらけ出された水俣補償の後遺症
朝日 1970 5 28 妥結の「一任派」帰途に、見送りに石牟礼さん
朝日 1970 5 28 涙とあきらめの妥結、水俣病補償/「満足でないが…」、赤い目の山本患者代表/ほっとした、笑う厚生省、精いっぱい、興奮のチッソ/安かったいのち、歯ぎしりする患者ら、現地の声/
朝日+ 1970 5 28 あくまでも訴訟やる、訴訟派代表の渡辺栄蔵さん(七二)の話、解決、ありがたい、熊本県知事語る/訴訟派すわり込む、ストの労組も抗議集会
朝日+ 1970 5 28 補償金は免税に、国税庁見解、青木勉・八代税務署長の話/<解説>企業有利の先例にも、処理委、患者に譲歩求めた形
読売 1970 5 28 くやし涙の和解/やっぱり低い水俣病補償、/「症状基準があやふや」、どうようの色隠せぬ訴訟派/やり場のない不満、山本会長倒れる/もっとほしかった、勝負にならなぬ力の差、公害専門家、思いやりに欠ける、同情よせる地元市民、「むずかしかった」、訴訟派は譲歩せぬ
読売 1970 5 28 水俣病補償、和解契約に調印/一時金を一律アップ、死亡者最高400万円に/道義的責任も盛り込む、千種達夫座長の話/涙のんで受けた、山本亦由会長の話/コロニー設置も要望、寺本広作熊本県知事の話/浮池水俣市長の話/江頭チッソ社長の話
読売 1970 5 28 父ちゃん返せ!、訴訟派、チッソ工場へデモ
読売 1970 5 28 <編集手記>
読売+ 1970 5 28 <解説>患者側にあせり、生活苦が妥協へ引きずる
毎日 1970 5 28 厚生大臣の胸打った“小さな訴え”、返事を楽しみに、父の帰郷待つ恵美子さん
毎日 1970 5 28 国・企業責任問題残す/奇妙な処理方法、厚生省、権限ない第三者に押付け、公害防止へ明確な姿勢を/法的判断、裁判に、“和解”応じぬと訴訟派
毎日 1970 5 28 “水俣病補償”でぶっつけ質問、水俣、熊本市内で/安か、人の命、患者さんの分裂は残念/“公害責任”法制化を
毎日 1970 5 28 水俣病補償、安すぎた“命の値段”/何の罪もない患者、“世界の奇病”に冷たい企業
毎日 1970 5 28 水俣病補償、専門家はこう見る/無過失責任立法急げ、和解案、増減請求制を採用/「あっせん案はのまぬ」、遺影飾り地元で抗議集会
毎日 1970 5 28 疲れ果て、涙の和解、水俣病補償交渉/調印式の握手も拒否、山本会長、“あす”思い心は沈む/「恵美子さんによろしく」と厚相、直訴状で父に伝える/「子の将来に不安無理して働かなければ」、患者家庭
毎日 1970 5 28 <余録>
熊日 1970 5 29 チッソの責任を追及/水俣病を告発する会
熊日 1970 5 29 “ボーナスから差引く”/チッソ会社側通告、公害ストの労組に
熊日 1970 5 29 まだ問題山積み/補償あっせん終わったが/訴訟派は裁判途上、コロニー建設も未定
熊日 1970 5 29 宇井助手ら13人釈放される
熊日 1970 5 29 “頑張りました”水俣病患者一任派帰る/限界見きわめて調印、納得してもらえるはず
熊日 1970 5 29 補償能力で“額”決めるな、水俣病の低額補償妥結に思う
西日本 1970 5 29 <こだま>水俣病補償に怒り、企業責任を追及しよう/企業に公害防止の義務
西日本 1970 5 29 会社は“不当”視、新日窒労組の抗議スト
西日本 1970 5 29 “納得得る自信あり”、水俣病調停派代表帰る
西日本 1970 5 29 命の値段に抗議の涙、浮池水俣市長、病床の細川医師見舞う
朝日 1970 5 29 患者はいつも訴えるだけ、“11年前”の証言/二つの要求、二つの調印/追い込まれ、押切られ、二派に割れ、泣いて調印/「のむ者だけ金払う」、賛成派の説得
朝日 1970 5 29 水俣患者、補償受取れば、生活保護打切り?
朝日 1970 5 29 <声>加害者一辺倒では、水俣病処理委の態度/患者のそばで苦しみを知れ/企業に公害責任を思い知らせよ/患者の人権守る判決を
朝日 1970 5 29 妥結金額の意味するもの/水俣病、補償交渉めぐる座談会/出席者、東京都立大学法学部助教授、野村好弘氏、水俣病補償処理委員会座長、千種達夫氏、作家、水上勉氏、司会、富田東京本社内政部長/裁判でも出すまい、千種、決裂した方がまし、野村、安いこと前代未聞、水上
朝日 1970 5 29 代表団足重い帰り道、水俣病補償交渉/「説得できるだろうか」、風当たりの強さに不安/坊やの遺影に……
読売 1970 5 29 経企庁、圧力わびよ、「幻の水俣病研究」に怒り
読売 1970 5 29 足取り重く帰郷、水俣病一任派、「不満だが精いっぱい」
読売 1970 5 29 労組の抗議ストに減給通告、チッソ水俣
毎日 1970 5 29 時限ストで会社がボーナスをカット、チッソ水俣
毎日 1970 5 29 「水俣」国会で追及、社党、公害反対で全国行動
毎日 1970 5 29 水俣患者へと寄託
毎日 1970 5 29 水俣病調停制、三日間の舞台裏/政治的な積上げ額、厚生省、秘密主義に血マナコ
毎日 1970 5 29 二度とこんな目には……/心身ともにぐったり、水俣病補償交渉団、家族ら暖かい出迎え
毎日 1970 5 29 不満の会員説得へ、一任派の山本会長ら帰る
朝日 1970 5 30 「金額増に力つくした」、水俣病補償一任派、山本会長が帰宅
朝日 1970 5 30 <標的>「私害」と「公害」
熊日 1970 5 31 水俣病、コロニー建設を推進/来年度予算メドに、知事帰任談
熊日 1970 5 31 全員、和解を認める/水俣病処理委一任派、山本会長らが報告会/“よかった年金導入”/浮池水俣市長も帰る
西日本 1970 5 31 むごい仕打ち、水俣病補償は低すぎる
西日本 1970 5 31 全員が和解契約了承、水俣病補償報告会、数日中に補償金出る
朝日 1970 5 31 一任派家族は補償案を納得、説明会開く
朝日 1970 5 31 <火山派>日暮れて道違い、公害対策、冷たい政府の姿勢、いぜん会社利益が優先?
朝日 1970 5 31 細川氏の臨床尋問を延期、水俣病裁判
朝日 1970 5 31 処理委、軽く扱う、熊大講師が指摘、水俣病患者の症度
朝日 1970 5 31 <声>国や県も補償せよ、水俣病患者へおわびに
読売 1970 5 31 県内にコロニー誘致、水俣病患者など救済、来年度予算で実現図る
読売 1970 5 31 水俣病、和解契約を了承、調印派、補償金、近く支給
読売 1970 5 31 水俣病訴訟を支援、県教組大会で決議
毎日 1970 5 31 <読書の広場>黙視できぬ水俣病の低額補償/公害行政は住民側に立って
毎日 1970 5 31 命ある限る証言したい/ガンと戦う“水俣病患者の父”/「このメモ、この水送ります、ぜひ役立てて」
毎日 1970 5 31 和解契約を了承、一任派、水俣補償報告会で