新聞名 記事見出し
熊日 1971 12 1 立たない解決のメド、水俣病新認定患者の座り込み/かみ合わぬ補償交渉/市民にも対立感情、ついに一カ月を経過
熊日(夕) 1971 12 1 <黙鼓子>(水俣病新認定患者のすわりこみ以来一カ月)
西日本 1971 12 1 熊本側32人を諮問、鹿児島は2人か、水俣病、10日に審査会
西日本 1971 12 1 当事者の話し合いが先決、熊本・水俣病を告発する会が公害審に申入れ
朝日 1971 12 1 10日に審査会、水俣病の診定
朝日 1971 12 1 「安易に調停するな」、水俣病を告発する会、中央公害審に申入れ
朝日 1971 12 1 <今日の問題>一株運動
読売 1971 12 1 10日から審査会、熊本・鹿児島合同、水俣病の認定
読売 1971 12 1 患者たち一層硬化、すわり込み1カ月
読売 1971 12 1 中央公害審に陳情、告発する会
読売 1971 12 1 <論壇時評>(上)林雄二郎/「潮」の特別企画、「生きた人形に誰がした」/目おおう100人の証言、既成政党の運動つく
毎日 1971 12 1 「申請受理せぬよう」、チッソの中公審委調停、告発する会が要望
熊日 1971 12 2 15日に島田社長が話し合い/水俣病新認定患者
熊日 1971 12 2 19時間ストに突入/新日窒労組
熊日 1971 12 2 9人のランク付けを、水俣病一任派、浮池市長に陳情
熊日 1971 12 2 熊大医学部学生がハンスト/水俣病審査会に抗議
熊日 1971 12 2 水俣病患者にカンパ資金おくる/熊大付中三年二組
朝日 1971 12 2 すわり込み一カ月、水俣病の新認定患者ら/あとにひけぬ戦い、「納得いく補償金出せ」
朝日 1971 12 2 新日窒労組がハンスト
毎日 1971 12 2 10日に水俣病審査、県公害被害者認定審査会、林田さんら32人を
毎日 1971 12 2 新日窒組が十九時間スト
熊日 1971 12 3 “患者に越年資金を”/水俣市長ら県に陳情
熊日 1971 12 3 訴訟派など水俣市の態度を打診
朝日 1971 12 3 15日に補償交渉、チッソ、患者に申入れ
朝日 1971 12 3 水俣病四月認定、ランク付けで知事にただす、保守系の市民連協
朝日 1971 12 3 水俣病認定、審査会の見解明かせ、熊大医学部生らハンスト
読売 1971 12 3 水俣病、ランクづけを検討、4月認定中心に9人、熊本県知事
毎日 1971 12 3 水俣病患者のランクづけ、県が「要請あれべOK」、4月までの9人
熊日 1971 12 4 公害審提訴は示唆せず、沢田知事、新認定患者に説明、水俣病
熊日 1971 12 4 <新生面>(県当局は認定の事後処理に誠意を示して)
西日本 1971 12 4 補償はチッソの責任、水俣病で沢田知事語る
朝日 1971 12 4 水俣病、新認定患者の問いに、知事二点を言明、「補償は企業の責任」など
読売 1971 12 4 チッソを批判、補償問題で知事
毎日 1971 12 4 静かに眠った山本さん、水俣病患者家族互助会長/患者の家庭思う心/命をかけた補償交渉
毎日 1971 12 4 沢田知事の真意聞く、水俣病、新認定患者家庭の二人
熊日 1971 12 5 患者に生活資金、水俣病、水俣市が方針固める
朝日 1971 12 5 「すわり込み辞さぬ」、水俣病新認定の患者ら、5人チッソ本社へ
朝日 1971 12 5 越年資金、実現しそう、水俣病患者、訴訟派と市長話合い
熊日 1971 12 6 チッソ社長と交渉へ/水俣病補償問題、新認定患者ら上京
熊日(夕) 1971 12 6 知事から意見聴取/中央公害審事務局長、水俣病の補償問題で
西日本 1971 12 6 社長と直接交渉へ、水俣病の新認定患者、家族、決意固め6人
朝日 1971 12 6 東京へ向う、補償自主交渉の水俣病新認定患者と家族
読売 1971 12 6 チッソと交渉へ、水俣病新認定患者代表上京
毎日 1971 12 6 水俣病補償、社長と直交渉へ、新認定患者六人が上京
熊日 1971 12 7 “誠意ある回答示せ”/水俣病新認定患者、チッソ本社へ乗込む
熊日 1971 12 7 知事から意見聴取、中央公害審事務局長、水俣病の補償問題で
西日本 1971 12 7 中公審の川村局長熊本入り、水俣病の補償問題調査
朝日 1971 12 7 「誠意ある回答を」、チッソ本社前、すわりこみ始める、水俣病新認定患者、家族
朝日 1971 12 7 補償で知事に見解を聞く、中央公害審査委
読売 1971 12 7 中央公害審が現地調査、水俣病調停問題
毎日 1971 12 7 補償調停で現地調査、水俣病の新認定患者、中央公害審の三人、熊本入り
熊日 1971 12 8 医療手当て増額を、水俣市長ら地元代表、大石長官に陳情
熊日 1971 12 8 水俣病、周辺山間部まで拡大か、行商人の魚が原因?、出水・水俣病市民の会、販売経路の解明急ぐ
熊日 1971 12 8 水俣病新認定患者、“補償”で会社側に直訴/双方とも主張譲らず、きょう再び話し合い
熊日(夕) 1971 12 8 具体的回答を/チッソ社長に、患者ら“血書”で迫る
熊日(夕) 1971 12 8 徳臣教授の研究室占拠/熊大、水俣病支援の学生20人
熊日(夕) 1971 12 8 <黙鼓子>チッソと新認定患者との交渉どこまでも平行線
西日本 1971 12 8 水俣病の病名変更を、水俣を明るくする協議会が環境庁に陳情
西日本 1971 12 8 西田尋問あす終結、水俣病裁判
朝日 1971 12 8 チッソ、きょう要求書に回答、新認定患者の補償問題
朝日 1971 12 8 大石長官らに早期解決陳情、「市民連絡協」の代表
朝日(東京)
(夕)
1971 12 8 「有機水銀飲め」「飲む」、患者と島田社長が押し問答、チッソ本社
読売 1971 12 8 「水俣病」の改称必要、認定ランクも公表、大石長官、陳情団に表明
毎日 1971 12 8 きょう新認定患者と会う、中央公害審の川村事務局長、水俣病
熊日 1971 12 9 “ぜひ現地にきて…”<水俣病新認定患者とチッソの交渉>/血書し深夜まで訴え/島田社長、訪問の意向は示す/“自主交渉を前提に”、患者側
熊日 1971 12 9 社長タンカで退席/患者ら会場で夜明かし、チッソ本社
熊日 1971 12 9 新認定患者と合う/川村中公審事務局長、水俣を訪れ調査
熊日 1971 12 9 “徳臣研究室”を占拠、熊大、水俣病支援の学生20人
熊日(夕) 1971 12 9 水銀の文献で追及<水俣病裁判>/“反論はインチキ”、原告側/西田氏、“聞いたことがない”
熊日(夕) 1971 12 9 研究室の占拠解く/水俣病行動委の熊大生ら
西日本 1971 12 9 患者が“抗議の血書”、新認定患者の補償交渉、チッソ、態度変えず
西日本 1971 12 9 <熊本春秋>(中央公害審査委員会事務局員現地調査)
西日本 1971 12 9 事務局長ら水俣へ、中央公害審
西日本 1971 12 9 徳臣研究室を占拠、熊大行動委が公開質問状
朝日 1971 12 9 山間部でも水俣病の恐れ、市民の会が近く調査
朝日 1971 12 9 水俣病の新認定患者に会う、中央公害審査委の15人
朝日 1971 12 9 「誠意のある回答示せ」、指を切って血書、水俣病患者ら、チッソ側に迫る
朝日 1971 12 9 徳臣教授の研究室占拠、熊大、水俣病行動委の15人
朝日(東京) 1971 12 9 話会い進まず、チッソ本社の直接交渉
朝日(東京)
(夕)
1971 12 9 だれに訴えたらいい……、チッソ社長入院、すわり込みに退去命令
読売 1971 12 9 すわり込みの患者とも話す、公害審一行
読売 1971 12 9 熊大研究室を占拠、医学部の20人、水俣病認定めぐり
読売 1971 12 9 真意どこに大石発言、水俣病補償、県衛生部びっくり
毎日 1971 12 9 チッソ本社ですわり込み、新認定患者ら
毎日 1971 12 9 水俣病新認定患者、審査会との会談ならず、「直接交渉中」と断わる
毎日 1971 12 9 水俣病認定審査会長、徳臣研究室を占拠、熊大医学部の学生、「患者放置の責任とれ」
毎日(東京) 1971 12 9 “怨”の黒旗かかげ、患者、家族らがチッソ弾効集会
熊日 1971 12 10 <12月県議会>代表質問始まる/“財政”重点に追及/沢田知事、“積極姿勢くずさぬ”/<県会メモ>軍配、どうやら富永部長に?/与党議員、大見え切ったけど
熊日 1971 12 10 きょう認定審査会/水俣病、4月以降申請の33人
熊日 1971 12 10 廊下でにらみ合い/チッソ本社、座り込み患者と社員
熊日 1971 12 10 研究室の占拠解く、水俣病行動委の熊大生ら
熊日 1971 12 10 社長、担架で退席、患者ら社内で夜明かし/チッソ本社
熊日 1971 12 10 正門でハンスト/チッソ水俣工場、患者支援の学生ら
熊日 1971 12 10 西田尋問大詰め<水俣病裁判>/“35年以降も排水”/「工場月報」に苦しい答弁
熊日(夕) 1971 12 10 33人の認定を審議/熊本・鹿児島、公害被害者の審査会
熊日(夕) 1971 12 10 患者ら室内に乱入/水俣病交渉、座り込みから3日目
西日本 1971 12 10 どうして話し合えんとか!、チッソ本社/険しい空気続く、新水俣病認定患者、再び徹夜の座り込み/会社側、排除の構え
西日本 1971 12 10 熊大生占拠解く
西日本 1971 12 10 水俣では支援断食、“告発する会”会員5人
西日本 1971 12 10 有機水銀、チッソも研究、西田氏が証言、患者発生確認前に、水俣病裁判
朝日 1971 12 10 チッソもすわり込みで対抗、本社での抗議
朝日 1971 12 10 学生、教授室の占拠解く、熊大
朝日 1971 12 10 寒気の中で訴訟派集会、水俣病裁判/静かに「勝利を信じて」
朝日 1971 12 10 証拠の論文で追及、原告側弁護団、有機水銀の発生、水俣病裁判
朝日 1971 12 10 水俣支社前でも支援のハンスト
朝日(東京)
(夕)
1971 12 10 すわり込み2昼夜/水俣病患者とチッソとの補償交渉難航、解決のメドつかず、3日目双方にけが人も
読売 1971 12 10 学生ら5人ハンスト
読売 1971 12 10 “水銀放流”で新事実、水俣裁判、西田証人渋々認める
読売 1971 12 10 徳臣研究室占拠解く
毎日 1971 12 10 水俣病新認定患者、告発する会員もハンスト、自主交渉の決意固める
毎日 1971 12 10 水俣病認定、きょう33人を審査、大阪からも初の申請
毎日 1971 12 10 的確な証言得られず、水俣病口頭弁論、西田元工場長の最終尋問
毎日(東京)
(夕)
1971 12 10 ドア破って、もみ合い、水俣病患者、すわり込み3日目
毎日(東京)
(夕)
1971 12 10 患者側弁護団の最終尋問
熊日 1971 12 11 きょう認定審査会、水俣病、4月以降申請の33人
熊日 1971 12 11 チッソ本社に機動隊/座込みの全員を排除/補償交渉メド立たず/泣きくずれる患者、社長室前でハンスト
熊日 1971 12 11 西田証人倒れる/午後の審理中止、最終尋問は一月に/水俣病裁判
熊日 1971 12 11 大阪の女性は保留、熊本・鹿児島郊外被害者審査会、14日知事に答申
西日本 1971 12 11 14日にも知事に答申、県公害審査会、水俣病認定申請の31人
西日本 1971 12 11 警官出勤、すわり込み排除/支援会員3人を逮捕、交渉求め、患者ハンスト入り、チッソ本社
西日本 1971 12 11 西田尋問次回に持ち越す、水俣病裁判の口頭弁論
西日本 1971 12 11 目的は「健康保護と生活環境保全」、水俣市公害防止条例案できる
西日本 1971 12 11 “冷たい!”泣き伏す患者/なぜ話し合えぬ、耐え切れぬ怒りと悲しみ、チッソ本社すわり込み
朝日 1971 12 11 すわり込み排除、機動隊支援の三会員逮捕/自主交渉の用意も、チッソ庶務部長語る
朝日 1971 12 11 チッソ本社に警官隊、泊り込み、補償交渉/支援会員150人を排除、患者ら抗議ハンスト、資料そろえば自主交渉も、チッソ庶務部長語る
朝日 1971 12 11 原因確認時を追及、年内の西田尋問は終る、水俣病裁判
朝日 1971 12 11 公判迎える水俣病裁判/チッソ過失ほぼ立証、原告側弁護団、有利な収拾ねらう?、被告側/過失論めぐる双方の主張
朝日 1971 12 11 申請の33人を審査、公害被害者認定審査会
朝日 1971 12 11 傍聴席の失笑誘う、西田元工場長、肝心な点は声細る、水俣病裁判
朝日(東京) 1971 12 11 すわり込みを排除、支援の三会員逮捕、水俣病交渉
朝日(東京)
(夕)
1971 12 11 ハンスト患者疲労の色、チッソ本社、ほとんど寝たまま
読売 1971 12 11 水俣に公害防止条例、騒音、悪臭など許さぬ、きょう市会に提案
読売 1971 12 11 水俣病訴訟、西田証人倒れる、大幅に審理遅れそう
読売 1971 12 11 認定審査はじまる、申請の33人諮問
毎日 1971 12 11 「誠意の回答なければ帰れぬ」/水俣病患者らすわり込み3日/ついに機動隊出勤、めだつ疲労、社長も姿見せず/簡単にさがれぬ両者
毎日(東京) 1971 12 11 ついにハンスト、すわり込み水俣病患者、“機動隊導入”に抗議
熊日 1971 12 12 気力のハンスト/患者、体調しだいに悪化、チッソ本社/チッソ正門のハンスト解く
熊日 1971 12 12 水俣病の早期解決など陳情/水俣を明るくする会
熊日 1971 12 12 水俣病調査団を結成/新日本婦人の会
熊日 1971 12 12 年末資金に5万円/水俣市、水俣病患者に貸付け
西日本 1971 12 12 水俣病の新認定患者、気力で持ちこたえ、進まぬ交渉、ハンスト続く
西日本 1971 12 12 水俣病患者への越年資金融資、やっと実現へ、水俣、一世帯当たり5万円
朝日 1971 12 12 かなり疲労の色、チッソ、ハンスト患者ら/支援ハンストやめる
朝日 1971 12 12 水俣病患者に越年資金/1世帯に5万円、貸付けへ予算を提案、水俣市議会/要望3年目にやっと
朝日 1971 12 12 全国で公害反対運動、新日本婦人の会、水俣病調査団結成式開く
読売 1971 12 12 ついに機動隊導入、チッソ本社、すわり込み117人排除
読売 1971 12 12 越年資金案を提案、水俣市会
読売 1971 12 12 水俣病、怨念のハンスト、患者ら7人、チッソ社長室前で/帰郷促す電報、留守家族/支社前ハンスト中止
読売 1971 12 12 調査団が結団式、新日本婦人の会
毎日 1971 12 12 患者支援の婦人が調査団を結成
毎日 1971 12 12 “公害”へきびしい姿勢/勧告無視には罰則、32条の防止条例を提出、水俣市議会
毎日 1971 12 12 水俣病患者の越年資金提案
毎日 1971 12 12 水俣病患者ら、すわり込み、ついに四日目、話合い糸口つかめぬまま
熊日 1971 12 13 ハンストを中止/新認定患者ら、座り込みは続行、チッソ本社/新たに四人が上京/本社の座り込みに合流
熊日 1971 12 13 水俣病の現地調査終わる/新日本婦人の会
西日本 1971 12 13 いつまで続く“執念”と“拒否”、チッソのすわり込み/見出せぬ解決の糸口、ハンストは中止したが
西日本 1971 12 13 第二陣2人が上京、水俣・新認定患者、じっとしておれない
朝日 1971 12 13 42時間ぶりハンスト中止、水俣病新認定患者、すわり込みは続ける/支援の人たちも中止
朝日 1971 12 13 テント小屋で怒りぶつける、患者、会社側と交渉
朝日 1971 12 13 「一存では引けぬぞ、後ろに皆がいるんだ」、チッソ本社、すわりこみ続ける患者ら
朝日 1971 12 13 調査を終わり声明、新日本婦人の会水俣病第一次調査団
朝日(東京) 1971 12 13 42時間ぶりハンスト中止、すわり込み水俣病患者/無期限泊り込みに執念、直談判あくまで要求、背にズシリ仲間の苦悩、チッソの患者/川本さんの言葉/苦しみ/責任/スレ違い/はげまし
朝日(東京) 1971 12 13 無期限泊り込みに執念./直談判あくまで要求、背にズシリ仲間の苦悩、チッソ本社の患者
読売 1971 12 13 チッソ本社、ハンストを中止、41時間ぶりドクターストップ
読売 1971 12 13 怨念ハンスト七人中止
読売 1971 12 13 応援の3人が上京
読売 1971 12 13 <編集手帳>(水俣病患者への偏見や中傷)
毎日 1971 12 13 「一度帰っては」と電報、水俣病患者家族、東京の代表団を心配
毎日 1971 12 13 怒り秘めハンスト解く/41時間、衰弱ひどく、チッソ本社の新認定患者ら、すわり込みは続行
毎日 1971 12 13 闘病生活の実態など調べる、新日本婦人の会調査団
毎日 1971 12 13 日吉会長ら支援に上京
熊日 1971 12 14 チッソ本社前でビラ配り、水俣病患者
熊日 1971 12 14 糸口つかめぬ補償交渉、水俣病新認定患者ーチッソ/“主張”完全に平行線、引くに引かれぬ両者/姿を見せぬ重役陣、“誠意聞くまで”、がん張る患者/“孤立化”心配する現地、「いったん帰れ」の声も/上京中の二人帰水
熊日 1971 12 14 審査結果、知事に答申、“水俣病”申請の32人、熊本・鹿児島公害認定審査会
西日本 1971 12 14 10万円貸し付け、水俣病患者に越年資金、出水市
西日本 1971 12 14 上京の2人加わる、チッソの水俣病患者、解決のメドたたず
西日本 1971 12 14 森さんらひと足先に帰る、上京の水俣病新認定患者
西日本 1971 12 14 「補償」いぜん保留、チッソ申請の新認定分、水俣病問題で中央公害審査委
朝日 1971 12 14 さらに2患者応援に、チッソ本社にすわり込み
朝日 1971 12 14 本社での状況報告、水俣に帰って来た患者
朝日(東京) 1971 12 14 すわり込みに援軍、チッソ本社
読売 1971 12 14 怨念の応援すわり込み
読売 1971 12 14 応援の4人上京、チッソ本社、すわり込み続く
毎日 1971 12 14 会社側、ソフト戦術、チッソ本社すわり込み、 さらに二人合流
毎日 1971 12 14 東京ですわり込みの新認定患者二人帰る
熊日 1971 12 15 チッソ本社前でビラ配り、水俣病患者
熊日 1971 12 15 “患者補償を早急に”/文化人ら、水俣病でチッソ追及
熊日 1971 12 15 審査結果、知事に答申、“水俣病”申請の32人、熊本・鹿児島公害認定審査会
西日本 1971 12 15 すわり込み一週間目、チッソ本社の患者ら
西日本 1971 12 15 熊本、鹿児島で32人、審査会、水俣病新認定で答申
朝日 1971 12 15 革新系が議員修正案、水俣市の公害防止条例
朝日 1971 12 15 水俣病認定審査会が答申、今週中に患者の認定
朝日 1971 12 15 文化人が励ます、すわり込みの新認定患者、チッソ本社
朝日(東京) 1971 12 15 話合い進展なし、チッソすわり込み
読売 1971 12 15 水俣病すわり込みを見舞う、望月優子さん
読売 1971 12 15 「水俣病新認定」で答申
毎日 1971 12 15 交渉また物別れ、チッソすわり込み一週間
毎日 1971 12 15 新たに32人答申、水俣病
熊日 1971 12 16 映画「水俣」を検証/チッソ総会訴訟、初の証人尋問
熊日 1971 12 16 “住民に大きな不安”/袋中の神経障害調査、水俣市議会で質問
熊日(夕) 1971 12 16 中央公害審に申入れ/“調停申請取り上げるな”/水俣病新認定患者代表
西日本 1971 12 16 健康管理に努力する、中学生の先天性水俣病症状で答弁、水俣市議会
西日本 1971 12 16 補償交渉一両者は訴える、水俣病/新認定患者と会社側/越年の構えの患者、会社、“第三者の調停”待つ
朝日 1971 12 16 出水市は10万円に、年末資金、水俣病患者へ
朝日(東京)
(夕)
1971 12 16 <今日の問題>悪魔の言葉
朝日(東京)
(夕)
1971 12 16 中公審は調停は受入れぬ、チッソすわり込み患者ら
読売 1971 12 16 記録映画「水俣」を検証、チッソ総会決議取り消し訴訟
読売 1971 12 16 中学生の有機水銀中毒、水俣市会で対策追及
毎日 1971 12 16 公害防止対策を中心に質問、水俣市議会
熊日 1971 12 17 さっそく補償交渉、水俣病、新認定患者の20人
熊日 1971 12 17 さらに一人中公審へ
熊日 1971 12 17 ランク付けなど市に陳情/水俣の市民有志
熊日 1971 12 17 “禍根”やはり深かった<水俣病新認定の29人>/東京・すわり込み組と現地の表情/“認定は当然のこと”/家族に早く暖かい手を、沈痛の石田さん/一家5人が患者に/江郷下さん、“最後までかんばる”
熊日 1971 12 17 患者1人が死ぬ
熊日 1971 12 17 知事、水俣病患者を新認定/二十九人、二人は保留、環境庁の方針に従う
熊日 1971 12 17 中公審に調停申請へ、水俣市長に申し出
熊日 1971 12 17 “調停に乗り出すな”、坐り込みの川本さんら、中公審に申し入れ
西日本 1971 12 17 すわり込み打開へ、渡辺さんらが上京
西日本 1971 12 17 熊本県で29人新認定、2人が保留、水俣病申請者
西日本 1971 12 17 水俣病患者が死亡
西日本 1971 12 17 前途けわしい補償、水俣病新認定、出方では“すわり込み”
西日本 1971 12 17 中公審に調停申請、10月認定の2人、他患者に微妙な影響
朝日 1971 12 17 「スジ違い指摘した」、知事、チッソ水俣委員長の申入れに
朝日 1971 12 17 重症の水俣病の老人死ぬ
朝日 1971 12 17 新たに29人認定、2人保留熊本県の水俣病患者
朝日 1971 12 17 水俣病、新たに29人を認定/これまでにない高率、熊本県、保留2人は次回へ/認定された人たち
朝日 1971 12 17 水俣病の新認定/病根の深さにがく然/どこまでふえる…、市民らも、ふと「不安だ」/すわり込みの最中に認定の知らせ受ける
朝日(東京) 1971 12 17 「実態正視せよ」、迫る患者、チッソ側、「調停申請は変えぬ」
読売 1971 12 17 2人が調停あっせん依頼、水俣病新認定者
読売 1971 12 17 熊本の認定患者死ぬ
読売 1971 12 17 国会へ交渉再開陳情、患者互助会
読売 1971 12 17 水俣病29人を新認定、熊本県知事、環境庁方針を貫く/保留の3人は再審査/残りの136人も早く/<解説>過去の非認定が問題に
読売 1971 12 17 水俣病大量認定、これからが大変、手放しで喜べぬ患者
読売 1971 12 17 水俣病大量認定、肩の荷がおりた、手を取り合う患者たち
毎日 1971 12 17 ホッとしたが気持ちは複雑、ほとんどが肉親、水俣病に大量の新認定患者
毎日 1971 12 17 また患者一人死ぬ
毎日 1971 12 17 三人が中央公害審に調停申請へ
毎日 1971 12 17 自主交渉へ力添えを、川本さんら中公審に訴え
毎日 1971 12 17 新たに29人、患者認定/熊本・水俣病、“疑わしき”も適用/「苦しみ、これから」、すわり込み中に知らせ
毎日 1971 12 17 水俣病、29人を新たに認定、熊本県、2人は保留、再審査
毎日(東京) 1971 12 17 また患者一人死ぬ
毎日(東京) 1971 12 17 新たに29人、患者認定、熊本・水俣病、“疑わしき”も適用/「苦しみ、これから」、すわり込み中に知らせ
熊日 1971 12 18 10月認定の1人も中公審へ
熊日 1971 12 18 “いったん帰熊したら”/渡辺さんら説得に上京
熊日 1971 12 18 自主交渉進展なし、チッソ本社座り込み組
熊日 1971 12 18 新認定患者、チッソと合意<水俣交渉の20人>/補償の内金20万円/調停は中公審に任せる/“予想していた通りだ”/支社正門で座り込みの患者家族
熊日(夕) 1971 12 18 <黙鼓子>(水俣病新認定患者のうち20人が補償問題を中公審に任す。)
西日本 1971 12 18 「切りくずしだ」、チッソ内金、複雑、すわり込み患者/苦悩の色隠せない家族たち
西日本 1971 12 18 全重役と話合い要求、本社すわり込みの患者
西日本 1971 12 18 中央公害審に調停申請、10月認定の1人
西日本 1971 12 18 中央公害審持ち込み・内金20万円、チッソと交渉成立、水俣病、新認定の20人/<解説>補償に一つのパターン
朝日 1971 12 18 さらに6人参加へ、チッソ本社すわり込み
朝日 1971 12 18 第1次認定の1人も
朝日 1971 12 18 中公審調停に同意、水俣病第2次認定患者20人/内金として20万円、訴訟派は苦しい立場に/第1次認定の1人も/<解説>チッソ側に有利な状況
朝日(東京) 1971 12 18 補償調停申請で会社と合意、水俣病の新認定患者
朝日(東京)
(夕)
1971 12 18 “武士の情け”なのに、患者ら見舞、社長は面会断る、チッソ本社
読売 1971 12 18 怨のすわり込み、きょうで10日/チッソ、会談を“拒否”、激怒の患者「いっそ殺せ」/師走冷たく水俣病患者/20人が調停に同意、熊本「正月目前、暮らし困り」
読売 1971 12 18 水俣病新認定20人、調停申請に同意、年末までに内金20万円/1次認定の1人調停派に
読売(東京)
(夕)
1971 12 18 怨のすわり込み10日/会談拒否続ける、チッソ社長、病院でも面会謝絶
読売(東京)
(夕)
1971 12 18 新患者20人が調停に同意、「生活に困り」
毎日 1971 12 18 水俣病もイ病も素通り/国連への政府公害報告、“きれいごとに終始”、東大自主講座、独自のレポート準備/“簡潔に”と要請あったので……、恥部隠す姿勢
毎日 1971 12 18 水俣病生活資金の貸付け否決、水俣市議会
毎日 1971 12 18 第一回交渉で同意、水俣病新認定患者の二十人
毎日(東京) 1971 12 18 水俣病の新認定患者、もう10日もすわり込み/あくまでも交渉求めて…、会社側は冷たく拒否/怨念が行動へかり立てる、対立深める現地の市民/すれ違う両者のいい分
毎日(東京) 1971 12 18 中公審調停に同意、一任派の患者二十人/言葉のいつわりだ、川本さん語る
熊日 1971 12 19 すわり込みを支援/東京で「チッソ糾弾集会」
熊日 1971 12 19 補償内金20万円(1人当り)を支払い/チッソ、新認定患者24人に
熊日 1971 12 19 補正予算案など可決<歳末県会閉幕>/“審査委の空白回避”/知事、「水俣病認定」で答弁/<県議会を顧みて>/説得力欠く積極県政/低調だった水俣病論議
西日本 1971 12 19 チッソ、20万円を払う、水俣病新認定患者
西日本 1971 12 19 見舞いの患者を“拒否”、入院のチッソ社長、根くらべの両者事業/なんらかの取りつけをして帰郷を、訴訟派の渡辺さん語る
朝日 1971 12 19 チッソ、内金20万円を払う、調停派の新認定患者に
朝日 1971 12 19 生活資金貸さぬ、水俣病患者、訴訟派の陳情不採択に、市議会
朝日 1971 12 19 被害者代表送ろう、宇井純氏ら公害講座グループ/来年六月の国連人間環境会議、ストックホルム/日本の実情伝えぬ、政府報告書、水俣病、全く触れず
朝日 1971 12 19 面会謝絶で会えず、水俣病新認定患者ら、チッソ社長を見舞う
朝日(東京) 1971 12 19 “補償の内金”払う、チッソ、新認定患者に
読売 1971 12 19 20人に内金支払う、新認定水俣患者
読売 1971 12 19 チッソ社長を見舞う、すわり込みの水俣病患者、丁重に玄関払い
毎日 1971 12 19 チッソ弾効集会、すわり込みの患者ら、東京
毎日 1971 12 19 知事の給与引上げなど可決、県議会最終日/水俣病問題など質問
朝日 1971 12 20 <標的>水俣病の記録映画
熊日 1971 12 21 さらに三人加わる、新認定患者、中公審への調停申請
熊日 1971 12 21 まだまだいる?潜在患者/<水俣病アンケート調査>/一万二千人近い“異常”/やはり高率の多発地区/二月から二次検診
熊日 1971 12 21 また認定保留、水俣病認定審査
熊日 1971 12 21 死を選んだ水俣病患者/行き届かぬ病状追跡、老人対策に大きな警鐘
熊日 1971 12 21 “私は生きたくない”、遺書残し、水俣病患者が自殺
熊日 1971 12 21 中公審で円満解決を/水俣市議会、与党派の意見書可決
熊日(夕) 1971 12 21 <黙鼓子>(水俣病調査で“異常”者一万二千)
西日本 1971 12 21 32世帯に各5万円貸し付け、患者家族への越年資金
西日本 1971 12 21 あわれ……「生きたくない」、水俣病患者が自殺、孤独の老人、遺書残し
西日本 1971 12 21 さらに3人が調停申請、第2次新認定患者
西日本 1971 12 21 また保留、鹿児島の認定申請者
西日本 1971 12 21 対象者、一万人越す、熊本県発表、水俣病の第二次検診
西日本 1971 12 21 調停が解決への道へ、水俣市議会、意見書を採択
朝日 1971 12 21 2割が「疑わしい」/水俣病潜在患者の電算機診断/工場周辺が高率、アンケート調査結果、1万2千人検診へ/<解説>底辺の深さ知らされる
朝日 1971 12 21 「5万円」きまる、水俣
朝日 1971 12 21 今後も認定保留、鹿児島
朝日 1971 12 21 調停派23人に
朝日 1971 12 21 入院の日に自殺、一人暮らしの水俣病患者
朝日 1971 12 21 認定申請者の貸付け、水俣病患者へ年末資金、出水
朝日(東京) 1971 12 21 「私は生きたくない」水俣病患者自殺
読売 1971 12 21 1万人越す要注意、水俣病/不知火海沿岸アンケート調査/天草(指定外)でも2千人、来春に二次検診
読売 1971 12 21 3人調停申請へ、二次認定患者
読売 1971 12 21 調査方法に不信論も
毎日 1971 12 21 12念の闘病生活に疲れて、水俣病患者が自殺
毎日 1971 12 21 1万2千人が“要注意”/熊本の潜在水俣病調査/感覚障害やしびれ、水俣湾周辺、六市町住民の23%/非汚染地区からも20%
毎日 1971 12 21 また三人が中公審に調停依頼、チッソの座り込み二週間
毎日 1971 12 21 少女の水俣病認定また保留、鹿児島県知事
毎日 1971 12 21 調停推進の意見書採択、水俣市議会
熊日 1971 12 22 渡辺訴訟派代表、水俣に帰る
西日本 1971 12 22 越年資金100万円を要求、チッソすわり込み患者
西日本 1971 12 22 <熊本春秋>
西日本 1971 12 22 年越しは“チッソの床”で、水俣病新認定患者・川本さん/“誠意”引き出すまで、痛みこらえて訴える
西日本(東京)
(夕)
1971 12 22 年越し覚悟でがんばるたい/水俣病患者ら、チッソ本社すわり込み半年
西日本(夕) 1971 12 22 年越しは“チッソで”/“誠意”引き出すまで、痛みこらえてすわり込み、水俣病認定患者川本さん
朝日 1971 12 22 チッソに越年資金を要求、すわり込みの水俣病新認定患者ら
読売 1971 12 22 すわり込み派越年資金要求、水俣病新認定患者
熊日 1971 12 23 公害審に調停申請、水俣病、認定の三人態度変更
西日本 1971 12 23 さらに3人が調停派に、水俣病新認定患者
朝日 1971 12 23 水俣病新認定患者の調停申請さらに3人
読売 1971 12 23 水俣病の“病根”/無視された常識的手順、まず加害者があやまって…、木下順二
読売 1971 12 23 調停派3人ふえる、水俣病患者
毎日 1971 12 23 チッソ本社すわり込み、きょうで半月/続ける…命の尊さ訴えるため、切捨て、置去りー、本質を暴露したい
毎日 1971 12 23 調停申請者は三十人に、水俣病新認定患者
毎日(東京) 1971 12 23 命の尊さ、すわり込み半年、チッソ水俣病患者/ただこれだけを訴えたい!/「勝利の展望があるわけではない、だがすわり続ける、人間の命の尊さを訴えるためにー」
熊日 1971 12 24 あす患者に生活資金貸付け/県、水俣市が折半負担
熊日 1971 12 24 患者の前田さんら上京
熊日 1971 12 24 中公審へ調停申請/水俣病第二次、新認定患者の補償/チッソ本社
西日本 1971 12 24 29人の調停申請、チッソ、新認定の水俣病患者
西日本 1971 12 24 チッソ、話合い拒否、泊まり込みの患者に回答
西日本 1971 12 24 患者代表が上京、中公審に申請書を提出
朝日 1971 12 24 チッソ本社のすわりこみ、「無期限に…」と通告、社員らとこぜりあい
朝日 1971 12 24 新認定患者四人が上京
朝日 1971 12 24 調停申請派が「水明会」結成、新認定患者
朝日(東京) 1971 12 24 チッソのすわり込み、無期限に続行、患者側が会社に通告
朝日(東京)
(夕)
1971 12 24 「容疑者不明」で幕、チッソ総会、暴行ガードマンの捜査
読売 1971 12 24 チッソ、「交渉できぬ」と通告、すわり込み年越しそう
読売 1971 12 24 中公審受理早く、水俣新患者上京
毎日 1971 12 24 30人の調停申請へ、水俣病新認定患者、代表団が上京
熊日 1971 12 25 チッソ、実力使い排除/本社座り込みの患者・支援会員/“これが正体…”とぼう然
熊日 1971 12 25 チッソ総会乱闘事件、府警、捜査打切る/傷害犯、割出し困難
熊日 1971 12 25 中公審に申請出す/第二次新認定患者ら、28日ごろ協議か
熊日 1971 12 25 “七一年熊本”を回顧する/記者座談会<中>
西日本 1971 12 25 チッソ、泊まり込み会員を排除/川本さんら抗議無視、「仕事のじゃま」、社員が抱きかかえ/<解説>非難覚悟の実力行使、会社側、当面の実態収拾ねらう/まぼろしの舟のために/石牟礼道子
西日本 1971 12 25 患者側30人も申請、「水俣病調停」、中公審に
朝日 1971 12 25 実力で排除、すわり込み支援団体
朝日 1971 12 25 容疑者不明のまま書類送検、チッソガードマン事件
朝日(東京) 1971 12 25 ついに全員を実力排除、チッソ本社は/ば声……ごぼう抜き、すわり込み17日目、支援団体の数人けが/やむを得ぬ措置、会社側語る/<解説>第三者任せねらう会社
朝日(東京) 1971 12 25 また乱闘騒ぎ、チッソ本社
朝日(夕) 1971 12 25 水俣病患者の強制排除、関係者はこう見る/東京都公害研究所長、戒能通孝氏、社長が患者の家で暮せ/水俣病を記録している、石牟礼道子さん、人間べっ視の典型見た/富士市で公害反対運動を続けている、甲田寿彦氏、労働者が排除の先兵とは/抗議を続行、患者たち
読売 1971 12 25 患者まで排除、すわり込みを実力行使、チッソ
毎日 1971 12 25 越年資金を貸付ける、水俣病患者に
毎日 1971 12 25 支援の30人を締出す、チッソ本社すわり込み、会社側、社員使って
毎日 1971 12 25 症状ランクづけ要望書受理
毎日 1971 12 25 水俣病/患者のその後と裁判の行方/すわり込みつづく、裁判、過失論から損害論へ、第一次新認定患者/新認定で分派/裁判の論争点
熊日 1971 12 26 五万円ずつ貸出し/水俣市から、水俣病患者家族に
熊日 1971 12 26 再び本社前に座込む、水俣病新認定患者、“年越しても続ける”
熊日 1971 12 26 島田社長すでに退院/水俣病新認定患者、“ペテンだ”と怒りの声
西日本 1971 12 26 拡大する告発、水俣病問題、丸山定巳/明るみに出た責任放棄、実情解明に第二研究班、底知れぬ深さに直視
西日本 1971 12 26 再び衝突、混乱、排除された患者が抗議/チッソ本社
朝日 1971 12 26 5万円ずつ29世帯に、水俣市、患者に越年資金貸付け
朝日 1971 12 26 チッソ、患者もほうり出す/師走の夜の路上へ、支援団体、抗議しこぜり合い/やむをえず…、チッソ取締役語る
朝日 1971 12 26 また乱闘騒ぎ、チッソ従業員らと水俣病患者支援者
朝日 1971 12 26 <れぽーと71ねん<7>>加担者の残忍さ問う/動員で?大会うごかす有志へ/怨念のビラ/「足げしツバし」/論理なく続かず/病名変更で何を/伏流と老患者の死
朝日 1971 12 26 中央公害審へ調停申請書、新認定患者代表が提出
読売 1971 12 26 水俣患者を実力排除、チッソ本社、社員180人動員
読売 1971 12 26 水俣病患者に年末資金、市社会福祉協が貸し付け
毎日 1971 12 26 「玄関前で越年も」、チッソのすわり込み、強引排除に怒る
熊日 1971 12 27 正門前でモチつき、チッソ水俣工場、すわり込みの患者ら
朝日 1971 12 27 <このふたり>水俣病の市民運動/患者がいる限り、日吉フミ子さん/市民は家族同然、徳富昌文
朝日 1971 12 27 字ならぬ字の抗議、水俣病新認定患者/テント内の日課、すわり込み書き続ける
朝日 1971 12 27 「正月はテントで」、患者家族らもちつき、水俣病すわり込み
朝日 1971 12 27 暮れも正月もない、水俣病患者、家族とカンパ
朝日(東京) 1971 12 27 暮れも正月もない、水俣病患者と家族たち、カンパを呼びかけ
毎日 1971 12 27 すわり込みテントで勇ましくモチつき、水俣病新認定患者
熊日 1971 12 28 七日水俣で話し合い、自主補償交渉、チッソ側が示す/第二次水俣病認定患者五人
西日本 1971 12 28 交渉に“越年”の決意、新認定水俣病患者、チッソへのすわり込み
朝日 1971 12 28 患者らを門前払い、チッソ本社、「直接交渉だめ」
朝日(東京) 1971 12 28 患者を門前払い、チッソ本社
熊日 1971 12 29 <水俣病新認定患者補償問題>中公審、調停委を設置/双方の申請を受理/委員長に五十嵐氏、来年一月に初会合
西日本 1971 12 29 調停申請を受理、中央公害審査委、新認定水俣病補償
朝日 1971 12 29 水俣病補償、中公審に調停委発足/来月早々にも開始、自主交渉派は除く?/自主交渉派は越年用テント、チッソ本社前
朝日(東京) 1971 12 29 越年資金の要求拒否、水俣病患者へチッソ
読売 1971 12 29 水俣病補償の調停、公害審乗り出す、委員会発足、新認定患者30人分
毎日 1971 12 29 中公審が調停を受理、水俣病、新患者30人の申請
毎日(東京) 1971 12 29 会社、患者双方の調停の申請を受理、水俣病補償で中央公害審
熊日 1971 12 30 川本さんら押し問答/告発する会員、社員と“乱闘騒ぎ”、チッソ本社
西日本 1971 12 30 憎しみーついに乱闘、同行の文化人らもぼう然、チッソ本社
朝日 1971 12 30 チッソ本社で大乱闘/話合い申入れ阻む、文化人ら会社側、双方十数人けが
朝日 1971 12 30 戦う決意固める、現地の患者ら、チッソに新たな怒り
朝日(東京) 1971 12 30 チッソでまた乱闘、十数人けが、文化人も巻込む/人道にはずれた経緯に憤り、文化人の申入れ書
読売 1971 12 30 すわり込み、越年か、水俣病患者、閉ざされた解決の道
読売 1971 12 30 チッソ本社でまた騒ぎ、支援の150人なだれ込む
読売 1971 12 30 水俣病訴訟、来秋にも結審か、斉藤裁判長、早期判決に意欲的
毎日 1971 12 30 また乱闘、物別れ/チッソ、ただ“憎悪だけ”残して、患者ら/文化人も巻き込まれる
毎日 1971 12 30 遂に乱闘騒ぎ、チッソと水俣病患者交渉/最後の話合い物別れ、譲らぬ会社、文化人も怒る/ば声とヤジの果て
熊日 1971 12 31 年を越す“座り込み交渉”<水俣病新認定患者>/本社前でモチつき/川本さんら、冷たい社側に持久戦/“社長きても会わぬ”/東京での動き見守る/苦境に立つ直接派、患者内部に対立も
西日本 1971 12 31 “モチ”に団結誓う/ビル前で川本さんら、チッソ本社、“交渉”ついに越年/水俣では交渉せぬ、留守部隊
朝日 1971 12 31 東京交渉また拒否、チッソ本社、年越す患者の抗議/水俣では社長には会わぬ、現地でも申入れ
朝日(東京) 1971 12 31 チッソ、交渉を拒否、患者側、東京で越年抗議
朝日(東京) 1971 12 31 水俣では社長に会わぬ、現地で患者が申入れ
読売 1971 12 31 怨念のモチつき、水俣病患者らチッソ本社前で
毎日 1971 12 31 怨念のモチつき、チッソ本社玄関で、すわり込み患者ら/「社長と水俣では会わぬ」、地元患者が申入れ