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阿蘇家文書・阿蘇文書とは

「阿蘇文書」とは、厳密には肥後一の宮阿蘇神社の神主阿蘇家伝来の古文書を指す。ただし大日本古文書家わけ第十三の『阿蘇文書』(全三冊)に「阿蘇神社文書」「阿蘇家文書」(両者は本来一体のもの)の外、別当寺の「西巌殿寺文書」、末社の「健軍神社文書」、阿蘇社領内に同社領の預所であった北条時定が建てた満願寺の「満願寺文書」が収載されたため、広義にはこれらの総称といて用いられることもある。

狭義の阿蘇文書のうち、阿蘇神社文書一〇通(ただし第五号文書は現在も所在不明)は、近代に阿蘇家から神社に寄附されたもので本来は阿蘇家文書の一部である。大日本古文書が「阿蘇家文書」として収載する三五一通の原本・案文のうち二九八通は、他の八通の文書および三六冊の転写本とともに、昭和三十年代に熊本大学の所有となり、附属図書館に架蔵され、三四巻に成巻された原本・案文および三六冊の転写本は、昭和六二年(1987)に国の重要文化財の指定を受けた。(中略)

次に同文書の内容であるが、時代的には平安末から幕末期にわたるものの、大部分が鎌倉~戦国期の中世文書である。鎌倉期では北条氏が阿蘇本末社領の預所であったことから、北条氏歴代の阿蘇荘の領家(村上源氏中院流)への書状や阿蘇大宮司以下への発給文書が多い。南北朝期の文書は、大宮司阿蘇惟時が南朝方からも武家方からもすこぶる重視されたことや、南朝方として活躍した恵良(阿蘇)惟澄が、幾通もの長大な軍忠状を遺したこと、一族が双方に分かれつつも、のちに統合されたことなどから、諸勢力の発給文書が豊富に伝来し、当該期九州のもっとも重要な政治史の史料群となっている。室町期以降の分では、社領関係や社殿造営関係の文書が多い。

大日本古文書第三巻に収める西巌殿寺文書二二軸四一六通、健軍神社文書一通、満願寺文書一六通も、阿蘇家文書と関連するところが多く、あわせて参照されるべきものである。


図録「阿蘇の文化遺産」より(工藤敬一)