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連署和与状 刊本68号

文書詳細

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第4巻
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第4巻 - 19 得宗公文所奉書 刊本67号 第4巻 - 20 肥後上島郷地頭尼妙法同子息義広連署和与<わよ>状 刊本68号

45 第4巻 - 19 得宗公文所奉書 刊本67号  / 46 第4巻 - 20 肥後上島郷地頭尼妙法同子息義広連署和与状 刊本68号
45 第4巻 - 19 得宗公文所奉書 刊本67号
46 第4巻 - 20 肥後上島郷地頭尼妙法同子息義広連署和与状 刊本68号
45

得宗公文所奉書 刊本67号

46

嘉暦元年(1326)十一月十八日
肥後上島郷地頭尼妙法同子息義広連署和与<わよ>状 刊本68号

阿蘇氏一族で上島郷(現嘉島町上島)の地頭職をもつ上島氏では、惣領職と別分<べちぶん>の地および蒙古合戦の勲功<くんこう>地である肥前神崎荘内の田畠をめぐって、上島惟秀の子の惟幸と地頭尼妙法の子義広が、多年鎮西探題の法廷で争ってきたが、上島郷内の一町五段の田地等を、惟幸に避け与えることで和解が成立し、和与状を交換することになった。46(刊本68号)は、義広側から惟幸に渡された和与状で、裏に十二月五日付の鎮西探題の引付奉行人<ひきつけぶぎょうにん>(法務職員)の証判<しょうはん>が書かれている。(工藤)

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