HOME > 各巻一覧 > 第6巻 > 67 第6巻 - 6 上島惟頼軍忠状 刊本92号

文書詳細

利用上の注意

それぞれの画像は、学術研究活動など非営利目的で個人的に利用することは自由ですが、転載・再配布などをされる場合は事前に許可を得る必要があります。詳細は取扱要領をお読みください。

第6巻
67

第6巻 - 6 上島惟頼軍忠状 刊本92号

第6巻 - 6 上島惟頼軍忠状 刊本92号
67 第6巻 - 6 上島惟頼軍忠状 刊本92号
67

建武二年(1335)十二月廿七日
上島惟頼軍忠状 刊本92号

上島惟頼が十二月十一日の筥根<はこね>山城での足利直義軍との戦いに際し、防御柵を攻撃した時に左肩上と腰骨を負傷したので、この軍忠に対して後々のために一見状<いっけんじょう>をもらおうと提出した軍忠状である。「承訖(花押)」とあるように証判(菊池武重か)を得て返付された。十一月廿二日に惟頼に対し鎌倉への発向<はっこう>をもとめる後醍醐天皇綸旨(刊本87号)がだされており、これに応じての参戦であった。『太平記』によれば、菊池武重が先懸けを勤め、「敵三千余騎ヲ遙ノ峯へ巻上ゲ、坂中ニ楯ヲ突雙テ、一息継テ怺ヘタリ。是ヲ見テ、千葉・宇都宮・河越・高坂・愛曽(阿蘇)・熱田ノ大宮司、一勢々々陣ヲ取テ、曳声ヲ出シテ責上々々、叫喚デ戦タリ」とある。同日付けで惟頼に宛てた阿蘇惟時の見知状<けんちじょう>があるので、惟時と共に行動していたことがわかる。また、阿蘇品惟定もこの戦いに参加している(刊本80号)。(柳田)

各巻一覧(第一巻~第三十四巻)

  • 阿蘇家文書
  • 第1巻
  • 第2巻
  • 第3巻
  • 第4巻
  • 第5巻
  • 第6巻
  • 第7巻
  • 第8巻
  • 第9巻
  • 第10巻
  • 第11巻
  • 第12巻
  • 第13巻
  • 第14巻
  • 第15巻
  • 第16巻
  • 第17巻
  • 第18巻
  • 第19巻
  • 第20巻
  • 第21巻
  • 第22巻
  • 第23巻
  • 第24巻
  • 第25巻
  • 第26巻
  • 第27巻
  • 第28巻
  • 第29巻
  • 第30巻
  • 第31巻
  • 第32巻
  • 第33巻
  • 第34巻