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応永十六年(1409)八月 日
肥後湯浦郷坪付山野境等注文写 刊本226号 (4/13)
阿蘇谷西郷を管轄した阿蘇社権大宮司の宇治能里が書写した帳簿の集成。前半には、西郷に属する湯浦郷(現、阿蘇市南宮原・湯浦・西湯浦・西小園)の「田地坪付・山野境注文」(応永十六年八月日付)があり、郷内の村ごとに公田数、田地の所在・面積・斗代・播種量・負担種別と山野境を記す。その後に、同年九月日付の狩尾村(現、阿蘇市狩尾)の「一宮免田検見帳」が続く。後半の大部分は湯浦郷の「土貢<どこう>注文」がしめ、これに狩尾村の「土貢注文」、下竹原の「田地坪付」と「土貢注文」、小里の「中司土貢注文」が付加され(狩尾、下竹原、小里いずれも西郷のうち)、末尾に応永十六年九月日の日付と能里の署名が記されている。同年九月廿六日の「阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文」(刊本225号)によると、当時西郷では百姓経営の破綻と田地の荒廃が進行しており、この現実をふまえて郷村の「あるべき姿」を確認するために、以上の帳簿が集成されたと考えられる。(春田)