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(応永卅一年・1424)三月廿八日
渋川義俊書状 刊本246号
探題の渋川義俊が幕府奉行人の飯尾隼人佑に宛てた書状。阿蘇氏両統の対立が実力行使に発展した経緯を語っている。惟郷は安堵御教書を獲得して阿蘇社領の支配にのり出したが、阿蘇南郷の惟兼(惟政の子)がこれに対抗したため、惟郷は大友氏とともに南郷に攻め入って要害(城郭)に陣取りした。こうした事態に対して幕府は上使として小早川美作入道を派遣し、退散を命じた。両者はそれに従ったが、その翌日、突如として惟兼が南郷水口城を普請して立て籠もり、惟郷の南郷侵入(当知行<とうちぎょう>)を拒否し続けている。渋川義俊は探題として以上の経緯を幕府奉行人の飯尾に伝え、再度の御教書を惟郷に発給するよう依頼している。なお、この紛争は室町幕府の法廷に持ち込まれ、京都で訴陳が行われた。両者の主張は「阿蘇家文書写 第11」収録の関係文書の数々によって知ることができる。(稲葉)