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第23巻
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第23巻 - 3 阿蘇大宮司惟忠阿蘇御田出仕次第<おんだしゅっししだい>写 刊本271号 (4/4) 第23巻 - 4 城為冬書状 刊本272号

218 第23巻 - 3 阿蘇大宮司惟忠阿蘇御田出仕次第写 刊本271号 (4/4) / 219 第23巻 - 4 城為冬書状 刊本272号
218 第23巻 - 3 阿蘇大宮司惟忠阿蘇御田出仕次第写 刊本271号 (4/4)
219 第23巻 - 4 城為冬書状 刊本272号
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寛正五年(1464)六月吉日
阿蘇大宮司惟忠阿蘇御田出仕次第<おんだしゅっししだい>写 刊本271号 (4/4)

寛正五年(1464)、大宮司惟忠が阿蘇御田植祭<おたうえまつり>に出向いた記録を、元和元年に阿蘇惟善(江戸時代の初代阿蘇社神主)が書写したもの。惟忠は十二騎の侍を従えて、阿蘇社・国造<こくぞう>社の御田植祭に出向き、これを現地の御田屋では神官・供僧らが出迎え、大宮司は末座の神人たちにまで盃を与えて社家棟梁の立場を確認させたことが分かる。
 中世大宮司が年中神事に出仕することはかつてなく、惟忠の行装と儀式次第は末代のためにと記録されたが、その意味は何か。南北朝内乱は室町時代になっても阿蘇氏の内部で続いていた。しかし、矢部の惟村系の惟忠に実子がない状況下で、阿蘇の惟武系の惟歳を養子とする両家合体が宝徳三年(1451)に成立し、阿蘇・益城二郡の政治統一が成立した。その後、領内安定を見定めた惟忠は、はじめて阿蘇社大祭に出向き、社家にも盃を与えたことで、大宮司が社家・武家双方の支配者として君臨した記念として記録されたのであるともいえよう。(阿蘇品)

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「文明四年」(1472)八月十九日
城為冬書状 刊本272号

文明四年八月十九日、肥後国守護大名、菊池重朝の筆頭老者<おとな>の城為冬が、阿蘇大宮司惟忠の老者、光永山城守に宛てた書状。この書状と同日付の重朝の書状があり、これらは阿蘇山本堂と阿蘇社造営についての惟忠と光永氏の依頼状への返書である。重朝は老者たちと打合せた上で伝えるといい、為冬書状では、阿蘇・光永の両使者は前向きの対応に喜び、私としてもめでたいことと述べている。
 具体的には十月廿三日付の重朝書状では、阿蘇社造営のために国内の諸氏に別紙案文の棟別銭、一棟宛三文の徴収依頼文を送ったことを述べ、すでに求麻・八代・天草から返事(承諾)を得ていると記しており、阿蘇山本堂造営費用の守護棟別銭催促がすぐ始まったのであった。(阿蘇品)

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