HOME > 各巻一覧 > 第29巻 > 255 第29巻 - 12 後奈良天皇綸旨 刊本310号 / 256 第29巻 - 13 後奈良天皇口宣案 刊本311号

文書詳細

利用上の注意

それぞれの画像は、学術研究活動など非営利目的で個人的に利用することは自由ですが、転載・再配布などをされる場合は事前に許可を得る必要があります。詳細は取扱要領をお読みください。

第29巻
255
256

第29巻 - 12 後奈良天皇綸旨 刊本310号 第29巻 - 13 後奈良天皇口宣案<くぜんあん> 刊本311号

255 第29巻 - 12 後奈良天皇綸旨 刊本310号  / 256 第29巻 - 13 後奈良天皇口宣案 刊本311号
255 第29巻 - 12 後奈良天皇綸旨 刊本310号
256 第29巻 - 13 後奈良天皇口宣案 刊本311号
255

(天文十三年・1544)九月十六日
後奈良天皇綸旨 刊本310号

矢部「浜の館」にいた阿蘇大宮司惟豊はこの年、禁裏<きんり>修理料を献上した功によって昇叙<しょうじょ>された。本文書はそのことを伝えた綸旨である。差出は天皇の秘書局である蔵人所<くろうどどころ>頭人<とうにん>(長官)であった広橋国光。矢部にあって統一阿蘇氏の当主となった阿蘇惟長は大友氏と連携し、文亀四年(1504)の菊池能運<よしゆき>の急死後に衰退した菊池氏に入って肥後守護となり(菊池武経)、大宮司の地位には弟の惟豊がついた。しかし惟長は菊池氏家臣団と対立して守護家を去り、矢部に帰って一時大宮司に復帰したが、結果的に惟豊に敗れ、惟長の子惟前は益城郡の堅志田城(現美里町)に入って惟豊と長く対立した。しかし、ついに天文十二年(1543)に敗れて堅志田から没落する。惟豊の禁裏修理料献上による昇叙は、一族内の長年の抗争を通じて兄惟長勢力を葬り去った直後に実現した。本文書以下の四通と勅筆般若心経は京都で作成され、勅使によって矢部にもたらされたものである。(稲葉)

256

(天文十三年九月十六日)(1544)
後奈良天皇口宣案<くぜんあん> 刊本311号

口宣案は今日の辞令にあたる文書であり、惟豊が正四位下<しょうよんいのげ>から従三位<じゅさんみ>へと昇叙されたことがわかる。従三位は本来、中納言相当位で公卿<くぎょう>(今日の閣僚)の位である。前号の綸旨とこの口宣案には宿紙<しゅくし>(薄墨紙)が用いられている。「上卿 広橋大納言」の文言は、本文書の受給後に阿蘇氏側によって書き込まれたもの。「上卿<しょうけい>」とは朝廷における行事や諸案件の執行・処理責任者の公卿のことで、この場合は惟豊の昇叙申請を天皇及びその周辺に取り次ぎ、手続きを司った担当公卿をさし、それが広橋兼秀という人物だったことを明記したものである。(稲葉)

各巻一覧(第一巻~第三十四巻)

  • 阿蘇家文書
  • 第1巻
  • 第2巻
  • 第3巻
  • 第4巻
  • 第5巻
  • 第6巻
  • 第7巻
  • 第8巻
  • 第9巻
  • 第10巻
  • 第11巻
  • 第12巻
  • 第13巻
  • 第14巻
  • 第15巻
  • 第16巻
  • 第17巻
  • 第18巻
  • 第19巻
  • 第20巻
  • 第21巻
  • 第22巻
  • 第23巻
  • 第24巻
  • 第25巻
  • 第26巻
  • 第27巻
  • 第28巻
  • 第29巻
  • 第30巻
  • 第31巻
  • 第32巻
  • 第33巻
  • 第34巻