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(天文十三年・1544)九月廿三日
広橋兼秀綸旨副状<そえじょう> 刊本313号
惟豊昇叙の担当公卿であった広橋兼秀が女房奉書に添えて惟豊に遣わした書状。昇叙の綸旨発給を祝す内容であるが、綸旨・口宣案・女房奉書・兼秀書状の四通及び勅筆の般若心経を携えて矢部に下向し、天皇の意思を惟豊に伝える勅使として、日野氏(烏丸光康)の名が見える。「阿蘇家文書写 第12」等に収録された惟豊請文<うけぶみ>によれば、矢部に到着した勅使の烏丸光康は、さらに修理料と御礼を進上すれば惟豊を二位に昇叙する用意があると伝え、これに対して惟豊は翌年春の修理料進上を誓約し、その証拠として腋刀<わきがたな>一本を勅使に渡している。矢部における勅使と惟豊とのこうした交渉が、五年後の惟豊二位昇叙へとつながってゆくことになる。(稲葉)