新聞名 記事見出し
熊日 1968 9 1 ”人権上の結論”求める、岡本熊商大助教授、水俣病で学会発表へ
熊日 1968 9 1 水俣病を克服した渡辺君、元気で仕事やります、国と県、職業手当を支給
朝日 1968 9 2 水銀廃液/韓国へ輸出計画、チッソ水俣工場/百トンをもてあまして/直前、労組の抗議で中止/日本合成化学工業を通じ
熊日 1968 9 3 県総評、水俣病患者を支援/来月の大会で決議へ
西日本 1968 9 3 あいつぎ水俣病を克服、こんどは栄一君、ブロック工場でコツコツと
西日本 1968 9 3 <西日本新聞にみる明治百年(113)>水俣病/放置できぬ”公害”、新潟、富山にも中毒事件/伝染性の”奇病”と、魚を食いネコ狂う、精力的な原因追及、会社側なお否定
読売 1968 9 3 世界の”水俣病”/スウェーデンにも水銀禍/医師二人が来日、現地調査、熊大に協力頼む
熊日 1968 9 4 水俣病を現地で研究/熊大協力、スウェーデンの学者ら
熊日 1968 9 4 水俣港を本格整備へ/5カ年で六億円投じ
朝日 1968 9 4 私は”水俣病”をにくむ/ある妻の手記から/私の家庭に”悪魔”が…・、夫に続き、娘の命まで奪う/手記を読んで、徹底的に責任追及を
朝日 1968 9 4 「水俣病」英訳なる、熊大医学部、近く諸外国へ
朝日 1968 9 4 日本は水銀中毒の”先進国”、スウェーデンから学者来日
熊日 1968 9 5 再び有機水銀の不安<チッソ水俣>/塩ビ工場から流出か/熊大、近く分析調査へ/含まれていても微量、熊大見解
熊日 1968 9 5 十三日に死亡者四十二人の慰霊祭
熊日 1968 9 5 水俣病患者の実態調査へ/水俣市
朝日 1968 9 5 水俣病、患者、遺家族励ましへ、県総評が支援態勢、熊本、カンパ、法廷闘争/物心両面で影響/<解説>
読売 1968 9 5 13日に初の市営慰霊祭、31年の水俣病犠牲者
毎日 1968 9 5 13日に合同慰霊祭、水俣病の犠牲者42人
熊日 1968 9 6 ”水俣病”支援きめる/水俣地協、被害者救済に重点
朝日 1968 9 6 13日に慰霊祭、水俣市が初めて
朝日 1968 9 6 水俣地協の全組合も立つ、患者家族を支援
朝日 1968 9 6 ”正体”現した水俣病/記者座談会/「既に過去の問題」、話し合おうとせぬ会社側
毎日 1968 9 6 放置されたまま15年/水俣病、現地ルポ/被害者対策の裏付けなく、何が公害認定だ、悲痛な叫びあげる患者
西日本 1968 9 7 13日に水俣病犠牲者慰霊祭
西日本 1968 9 7 <あすの郷土を開く(42)>水俣病の”遺産”を社会復帰の灯に/第三の医学のメッカめざす水俣市湯之児病院/”生きるしあわせを”、医師団、”不治”克服に情熱/海外にも入院希望者、胎動する福祉産業構想
西日本 1968 9 7 ”ガラス張り”で善処、チッソ水俣、問題の廃液で方針
西日本 1968 9 7 <提言>教育の場を与えよう、日吉フミコ
朝日 1968 9 7 国の結論に従う、チッソ水俣工場側語る、必要なら患者交渉
朝日 1968 9 7 <文化>水俣病問題の社会的責任、第三・第四の悲劇を防ぐために/断じて許せぬネコ扱い、企業より人間繁栄の道を、水上勉
毎日 1968 9 7 水俣病、廃液処理で質問、市議会特別委、工場側に
毎日 1968 9 7 水俣病を現地調査、来月初めに衆院公害特別委
毎日 1968 9 7 積極的に患者支援、水俣地協
熊日 1968 9 8 内田参議、水俣病で経過説明聞く
熊日 1968 9 8 問い合わせや予約取消し、再燃した水俣病問題/困った旅館、漁協/チッソ支社、事情説明にヤッキ
西日本 1968 9 8 毒物汚染規制法を制定へ/水俣病などを防ぐ、厚生省、公害対策を推進、来年度計画
朝日 1968 9 8 公明議員、水俣病を調査
朝日 1968 9 8 私たちは訴える、「水俣」の記録/(写真)
朝日 1968 9 8 <社説>水俣病と企業のモラル
朝日 1968 9 8 重金属中毒防止、取り締まり体制つ゛くり、厚生省、工場規制法案提出へ
朝日 1968 9 8 水俣病/おそすぎた政府見解/戻らぬわが子の命、痛恨の母、わずかな補償金で…/弱かった地元自治体、”人間尊重”の道義心を
朝日 1968 9 8 水俣病の原因は工場廃液/政府の見解まとまる、厚生省科技庁/チッソ側の責任明示、「新潟」も昭電側に要因/公害として患者対策、政府見解/不十分な点があれば話し合う、チッソ水俣工場徳江毅支社長の話
朝日 1968 9 8 晴れやか患者・遺家族、水俣病原因の政府見解/15年ぶりの笑顔、責任追及に力得る/運動方向つ゛けられる
読売 1968 9 8 水俣病患者支援しよう、市民会議、街頭で加入呼びかけ
毎日 1968 9 8 水俣病患者を守って!、市民会議、街頭で呼び掛け
朝日 1968 9 9 しあわせはもう返ってこない/水俣病患者の生活実態/かさむ一方の借金、冷たかった周囲の目/奇病の話、くらし、見舞金
朝日 1968 9 9 市民会議速報を県下に郵送
朝日 1968 9 9 <水俣この15年(1)>奇病/あばれ回って苦しむ/しゃべらなくなった幼女/手足がしびれて、夫と娘を奪う、「伝染病」のうわさ、戸惑う医者たち
朝日 1968 9 9 水俣病補償問題、新展開へ/再あっせんか訴訟、契約の合法性に疑問/患者側の反発強まる/契約にこだわらぬ、チッソ支社長語る、ご破算にはしない/再あっせんの用意、熊本知事談
朝日 1968 9 9 政府見解に不満、水銀中毒事件、新潟の被災者
朝日 1968 9 9 誠意もって話合う、国の見解に反論せぬ、チッソ支社長との一問一答
朝日 1968 9 9 青空が青く見える、<立ち上がった水俣市民>/これで意見も率直に、補償や治療にまだ不安
毎日 1968 9 9 水俣病は「公害病」、厚生省科学技術庁、近く見解発表/企業責任にも言及か/<解説>認定は行政措置、患者の立場、一応有利に/遅い”公害病”認定、国の見解には従う
熊日 1968 9 10 あまりにも長かった十数年、水俣病やっと結論へ/誠意ある救護対策を、市民の願い、もう患者出さないで
熊日 1968 9 10 この子らに幸せを!
熊日 1968 9 10 患者を激励、田上総評事務局長と杉山自治労委員長
熊日 1968 9 10 厚相、20日に帰熊
熊日 1968 9 10 浄化装置完成後も有機水銀排出、会社認める/寺本知事談、再あっせんも考慮
熊日 1968 9 10 <新生面>(水俣病に対する政府見解発表近し、円満な解決を)
熊日 1968 9 10 水俣病、これまでの経過/患者は百十一人(死亡四十二人)/熊大、原因解明へ地道な追及/<水俣病メモ>
熊日 1968 9 10 水俣病、公害認定へ/園田厚相が言明/十九日までに結論/企業の社会的責任強調/あと始末を完全に/厚相の姿勢高く評価/当然国への要求も/話し合いで問題解決へ/やっと認められる/今後とも患者の力に
熊日 1968 9 10 政府見解には従う/互助会と話し合いも、入江チッソ専務語る
西日本 1968 9 10 やり場のない怒りが…・/願いは子供の将来、体ふるわせ訴える母親/「水俣病」の経過
西日本 1968 9 10 熊大の研究報告を尊重、水俣病で近く政府見解/原因はチッソ工場廃液、企業責任を明確化、公害病として補償へ/企業も”人間第一”で
西日本 1968 9 10 ”見舞金”から”補償”へ、水俣病/改定迫られる契約書、交渉、かなり複雑化?
西日本 1968 9 10 工場廃水中の有機水銀が、魚介を通じ人体に/熊大研究班の報告要旨
西日本 1968 9 10 <水俣病関係者の談話>見舞金契約の改定へ、屈辱的契約の破棄に努力、国の結論に従う、おそすぎた政府の見解、最善の努力する
西日本 1968 9 10 知事は再調停を、”励ます会”の内田教授語る、安すぎる見舞金
西日本 1968 9 10 来月の大会で支援体制確立、熊本県総評
朝日 1968 9 10 13日、初の合同慰霊祭、高まる患者家族への支援、水俣
朝日 1968 9 10 ガンバレ水俣病の子ら/見守り続けて4年、就職の世話や福祉まで/熊本短大の「励ます会」
朝日 1968 9 10 これが有機水銀、設備から採取
朝日 1968 9 10 <水俣この15年(2)>有機水銀への道/苦心の研究6年目/ついにつきとめた”犯人”/最初から疑いの目、ひらかれた突破口
朝日 1968 9 10 水俣病に支援体制、社党熊本県本部
朝日 1968 9 10 「水俣病の子にコロニー」/橋本市長と一問一答/市が一生面倒みる、見舞金特別扱いに努力
朝日 1968 9 10 地元市民らと支援対策を話合う、熊本県総評事務局長
朝日 1968 9 10 <天声人語>(水俣病についての政府見解)
読売 1968 9 10 熊本県評が県民運動へ、水俣病患者支援
毎日 1968 9 10 水俣病、工場廃液に原因、”企業に責任”厚相が断定/熊大研究を全面採用/<解説>補償増額取上げる/補償あっせん再検討も必要
毎日 1968 9 10 水俣病支援決める、県総評、発生当時の姿勢を反省/<解説>
毎日 1968 9 10 <余録>(水俣病発生から公害認定までの経過と見舞金契約の有効性への疑問)
熊日 1968 9 11 15年ぶりにやっと光、公害認定近い水俣病患者/期待と不安に揺られて、”どうなる補償の程度”/流し続けたくやし涙
熊日 1968 9 11 あらためて同情誘う、水俣「公害と闘う」の映画会
熊日 1968 9 11 市が一生面倒みる/胎児性の患者、”コロニー”の計画も、橋本市長、水俣病で語る
熊日 1968 9 11 水俣病、こうして突きとめた<元熊大研究班座談会(上)>動物実験キメ手に/学術的・心理的に多くの困難/有機水銀五年目に検出/旅費にもコト欠く研究費/初のケースに暗中模索/文献にただ一例の解剖所見
熊日 1968 9 11 水俣病対策に新局面/<園田厚相発言めぐって>/補償、再あっせんか/患者側も話し合い要望/<見舞金問題>/”公害病”の制度化へ/”人道的な措置”の要も/<医療施策と潜在患者>/収入認定の除外を/<生活保護法の運営>/なお新たな懸念、画期的な結論・将来の試金石にも/<今後の廃水汚染>
熊日 1968 9 11 悲惨な症状まざまざ/水俣、「公害と闘う」の映画会
西日本 1968 9 11 工場へ高まる”怒り”、水俣病問題/映画でも”悲惨”訴え、補償改定、微妙な食い違い、市民会議と互助会/会社の不明朗さを追究、寺本知事、再あっせんも考慮/望ましい国家的補償、熊大・入鹿山教授、今後も協力惜しまぬ
西日本 1968 9 11 社側はネコ実験を公表せよ、新日窒労組が申し入れヘ
西日本 1968 9 11 遅すぎる公害認定、水俣病で政府責任追及、衆院公害委
西日本 1968 9 11 補償交渉で協議、チッソ水俣工場
朝日 1968 9 11 ネコ実験公表など、チッソ労組が申し入れ
朝日 1968 9 11 <映画会「公害とたたかう」に真剣>/”水俣病繰り返すまい”、身にしむ主婦ら、資金カンパ相つぐ
朝日 1968 9 11 工場の許可制検討、衆院特別委、公害問題で政府答弁
朝日 1968 9 11 今月中には発表、厚相語る、水俣病の政府見解
朝日 1968 9 11 水俣病の潜在患者、実態調査へ、出水市
朝日 1968 9 11 水俣病患者も慰問園田厚相、20日熊本へ
朝日 1968 9 11 訴える”長い苦しい道…”、主婦作家の訪問に水俣病患者ら/追いつめられて調印/どん底生活の患者、徹夜のすわり込み、年金たった十万円、年が越せない、弱いものいじめ
読売 1968 9 11 11月初旬までに結論、水銀中毒で政府答弁、衆院特別委
読売 1968 9 11 政府見解の調整遅れる、園田厚相語る
毎日 1968 9 11 会社の結論明かせ、組合が申入れ、補償問題やり直しを
毎日 1968 9 11 公害訴訟も、県評支援闘争
毎日 1968 9 11 国の対策、手ぬるい、水俣病国会で政府を追及
毎日 1968 9 11 ”水俣病の恐怖”まざまざ、水俣市で記録映画を上映
毎日 1968 9 11 政府見解は月内に結論、厚相語る
熊日 1968 9 12 会社の結論を明白に/チッソ水俣工場労組、江頭社長に要求書
熊日 1968 9 12 私は水俣病を克服した/5人の職場を訪ねて/つらかった復帰の道、やっと希望、”当時の苦悩二度と…”/いまでも力仕事はできない、自力で機能回復に努力、両手のシビレいまも、くやしかった小中学生時代、仕事が楽しくてたまらない
熊日 1968 9 12 水俣病、こうして突きとめた<元熊大研究班座談会(下)>妨害と圧力排除して/企業は人命尊重を第一に/公害背負う成長はニセ/研究妨げた工場の非協力/ナンセンス御用学者の説/動物実験と同時に人体実験も/厚相の姿勢を高く評価/外的要因での精神障害立証
朝日 1968 9 12 34人で8千万円請求、新潟の民事訴訟、水俣で証人調べも
朝日 1968 9 12 どうなる水俣病訴訟/複雑な患者互助会/年金打切りの恐れ、反対派、さきの生活が不安、賛成派/からむ「訴訟せぬ」の申合せ
朝日 1968 9 12 工場を相手に訴訟へ/水俣病患者互助会の上野さん/心身の苦痛を償え、市民会議も弁護人選任急ぐ/”悲劇を繰り返さぬため”
朝日 1968 9 12 出水の水俣病患者、ルポ/数しれぬ病院通い、人間の生活できぬと怒る/今も激しいけいれん
朝日 1968 9 12 <人>胎児性水俣病の追跡調査をつつ゛けている、立津政順
朝日 1968 9 12 <水俣この15年(4)>雑音/研究陣へ次々横やり/不思議な社会に暗然/大規模な人体実験、”犯人”は逃げた、第二の敵現れる何のための訪問者、ニセモノの繁栄
朝日 1968 9 12 水俣病援護へ具体案、園田厚相語る/補償契約を再検討、チッソ側へ強く要請/国も確たる措置、厚生省で立案中
朝日 1968 9 12 世論攻勢の勝利、水俣病犠牲者救済を早く
朝日 1968 9 12 訴訟は分裂招く、互助会長語る
朝日 1968 9 12 入院すれば回復も、胎児性水俣病の追跡調査/機能訓練で知能も向上/熊大医学部
読売 1968 9 12 ”チッソの町”水俣/公害闘争大詰め/正式の補償を…、認定待ちわびる、患者互助会/労組も責任追及、文書提出きめる/「水俣病」命名から12年
読売 1968 9 12 見舞金アップ勧告、寺本知事、補償問題あっせんの用意
毎日 1968 9 12 契約こだわらぬ、補償で徳江チッソ支社長
毎日 1968 9 12 <水俣病>廃液実験究明へ、労組・会社の”極秘”に挑戦
毎日 1968 9 12 水俣病患者救済に万全/園田厚相が所信語る/補償、あっせんの用意、”社会復帰”は国費で
熊日 1968 9 13 私はチッソにだまされた<水銀廃液>/社長が飲んでみせたのは”ただの廃水”/浄化装置は見せかけ?/ニガリ切る寺本県知事/”当時”の資料から推理
熊日 1968 9 13 きょう合同慰霊祭/42人の水俣病犠牲者
熊日 1968 9 13 この悲しみ二度と/水俣病犠牲者、初の合同慰霊祭/目泣きはらす遺族、少なかった一般参加者
熊日 1968 9 13 ベルリン教授ら21日に来熊/水銀中毒研究で
熊日 1968 9 13 会社相手どり訴訟へ、県総評会議で支援求める、患者互助会の上野さん
熊日 1968 9 13 患者に集まる善意/水俣病対策市民会議、熊本市内でカンパ
熊日 1968 9 13 患者互助会に分裂のきざし
熊日 1968 9 13 再建計画には不安/チッソ本社、新労組の要望に回答
熊日 1968 9 13 水俣病、明るい展開/熊大研究に県費補助/九月補正に50万円計上/見舞金も増額へ/「胎児性患者」も回復できる<6年間の追跡調査>/常識を破る”効果”/立津熊大教授が画期的な見解/系統的な療育と看護で
熊日 1968 9 13 被害根絶に万全策を/チッソ水俣新労組、会社側に要望書
西日本 1968 9 13 チッソ工場を訴訟へ、水俣病で家族失った上野さん、熊本県総評が支援
西日本 1968 9 13 ”工場にだまされた”、一時金受けたばかりに、どん底に泣く患者
西日本 1968 9 13 私も水俣病患者では/再診査してほしい、公害認定を機会に、訴える病床の人たち
西日本 1968 9 13 訴訟すれば調停せぬ、寺本知事が記者会見
朝日 1968 9 13 この悲劇、もう二度と/涙の訴え、水俣病遺族の上野さん/「訴訟、せめての供養」、熊本県総評会議に出席/百円カンパも、患者、家族へ全面支援、熊本県総評/患者らに一斉訴訟の動き
朝日 1968 9 13 <水俣この15年(5)>胎児性水俣病/死ねない、訴える親/”国は一生の面倒みよ”/ものいえぬ子ら、親が働けなくなれば、すくない付添人、早く教育施設を
朝日 1968 9 13 水俣病に発言の場を、地元の開業医たち/「正しかった直感、病名のわからぬ苦しみ」/「壁にツメ跡残し死ぬ」
朝日 1968 9 13 有機水銀、塩ビ廃液にも疑い、熊本県、チッソ水俣調査へ
読売 1968 9 13 水俣支援を訴え、熊本、県総評へ患者代表ら
読売 1968 9 13 水俣病「公害認定」後に、調停役応じる/知事語る
毎日 1968 9 13 コロニーつくりたい、胎児性患者を市で面倒、橋本水俣市長
毎日 1968 9 13 「チッソ相手どり訴訟」/夫と子失った婦人が表明/カンパで支援<熊本県総評>
毎日 1968 9 13 会社、弔辞断る/初の慰霊祭、「国の結論まだ出ぬ」と
毎日 1968 9 13 患者は積極雇用、訴訟になれば応じる、チッソ水俣支社長語る
毎日 1968 9 13 水俣病、塩ビ廃液も調査、有機水銀の有無究明、寺本熊本県知事談
毎日 1968 9 13 水俣病暖かい手を/新潟、電話対談、水俣/補償、新たな立場で、水俣でも訴訟考えたい、手を取り合って対策を
熊日 1968 9 14 救済を待つ、水俣病患者/奪われた生きがい、懸命の回復訓練、社会復帰はしたけれど、勉強がしたい、外にも出たい、手の掛かる看護
熊日 1968 9 14 支援に募金センター設置/チッソ水俣新労、市に協力呼びかけ
熊日 1968 9 14 「水俣工場再建」で重大示唆、江頭チッソ社長/”事業縮少ありうる”/微妙な現地情勢が支障/<解説>再建派と縮少派対立/だが、すでに20億円投資
熊日 1968 9 14 副知事・水俣病が焦点<九月県議会>/選任提案は会期末か/水俣病、”廃水”の監視を追究
熊日(夕) 1968 9 14 早急に政府見解を/社党水俣病特別委、川村代議士申入れ
西日本 1968 9 14 ネズミも「水俣病」に、久留米大山口教授、大牟田川汚染で実験
西日本 1968 9 14 ”加害者”初めてわびる/痛い遺族の視線、会社側、補償協議も約束、水俣病合同慰霊祭
西日本 1968 9 14 ”工場再建に自信失う”、チッソ社長新労に答える
西日本 1968 9 14 政府見解を急げ、社党大会で決議
朝日 1968 9 14 12万円の支援カンパ決める、新日窒労組
朝日 1968 9 14 チッソ支社長、遺影にわびる/水俣病、初の合同慰霊祭開く、きびしい視線浴び、「遅すぎた」と遺族、患者/はじめて頭下げる支社長
朝日 1968 9 14 三井化学方式の水銀処理、ネズミが水俣病に、久留米大実験
朝日 1968 9 14 <水俣この15年(6)>孤立/心まで破壊されて/「新潟」までの長い自閉/労組も敵にして、生活保護の打ち切り、直らぬうちに退院、「新潟」とともに
朝日 1968 9 14 水俣病の子を育てて/母親は訴える/話せず、歩けず、”もとの体にもどして”
朝日 1968 9 14 <水俣病究明>実った10余年の苦心、熊大医学部研究班/排水、早くから疑惑、工場閉鎖的で確証とれず/ひどい圧迫・反論・作為/誠意なかった政府、真実究明に大きな教訓
朝日 1968 9 14 水俣病研究に熊大へ、スウェーデンの学者
朝日 1968 9 14 政府見解、早く発表を、水俣病対策、社党特別委が要望
朝日 1968 9 14 ”不信”の中の慰霊祭、水俣/反応薄い遺族席、列席者の心はバラバラ
朝日 1968 9 14 有毒廃水通さぬ浄化装置、飲で見せ”安全”、当時の社長知事らの面前で
読売 1968 9 14 水俣病救済を早く/初めて公営慰霊祭/学校にも行けず、冷たい世間
読売 1968 9 14 政府認定に伴う、チッソ水俣新労組に回答
読売 1968 9 14 大牟田川の水銀で起きる同症状、久留米大山口教授、ネズミ実験公表
毎日 1968 9 14 遺影ずらり、初の合同慰霊祭/怒り・涙の遺族席、会社代表、初めて”おわび”
毎日 1968 9 14 支援センターを、チッソ新労、設立決める/社長には要望書渡す
毎日 1968 9 14 水俣病潜在患者いるはず/多発地の一斉検査を、市民会議などが提唱
熊日 1968 9 15 被害者救済に努力を/”水俣病”で三項目陳情、水俣市各区駐在事務所長会
西日本 1968 9 15 <恐怖の水銀、水俣病を追って(1)>人体実験/死の海の15年、患者、生けるしかばね
西日本 1968 9 15 硬軟両派で論争?、水俣病患者家庭互助会、きょう役員改選
西日本 1968 9 15 ”水俣病補償”再近衝したい/入江チッソ本社専務が見解、契約条文固執せぬ、調停機関できれば任せる/社会復帰にも援助、補償契約の骨子、政府見解後あっせん、寺本熊本県知事の考え
西日本 1968 9 15 訴訟、受けて立つ、入江専務と一問一答
西日本 1968 9 15 特別立法要望へ、患者は被爆者並み扱いに、水俣市
朝日 1968 9 15 現地記者座談会/水俣病、市民感情は複雑/迷惑顔の漁民ら、問いに背を向ける人も/反発あり動き微妙、どうなる見舞金契約/今は工場を市がおんぶ/市長後援する工場幹部、「裏切り」と怒る革新派
朝日 1968 9 15 上村さんも訴訟決意、水俣病
朝日 1968 9 15 <水俣この15年(7)>奇病と取組んだ人たち/患者さえソッポ向く/長い年月“裏方”で努力/報道写真家桑原史成さん、東大助手宇井純さん、作家石牟礼道子さん、水俣病の子供を励ます会
朝日 1968 9 15 “撤退”におわす回答、チッソ新労の要望に対し
読売 1968 9 15 支援センター設置を、チッソ新労、市長に要望書
読売 1968 9 15 水俣病互助会で対立、話し合いか、補償訴訟か
読売 1968 9 15 水俣病重症の少女訴訟、会社に「損害賠償せよ」
熊日 1968 9 16 社側の誠意に期待/国の結論で直ちに交渉/新正副会長語る
熊日 1968 9 16 水俣病補償やり直し/患者家庭互助会が決定/社との契約白紙に/要求額は四グループで/避けられた“分裂”/延々五時間、白熱の論議
熊日(夕) 1968 9 16 「市民会議」に脱退届、水俣病、「互助会」の正副会長
西日本 1968 9 16 <恐怖の水銀、水俣病を追って(2)>真実の発見/中傷、妨害、圧力、厚い壁、企業擁護の動き
西日本 1968 9 16 <私の提言>公害と企業都市/信頼回復にベスト尽くせ、中央大教授、野口雄一郎
西日本 1968 9 16 当面は話合いで、患者互助会が方針、水俣病の補償改定
朝日 1968 9 16 チッソの出方待つ、水俣病の補償、患者互助会で結論
朝日 1968 9 16 チッソ撤退は会社のおどし、新日窒労組反論
読売 1968 9 16 見舞い金契約を“破棄”、訴訟せぬ、認定後に再交渉、水俣病患者互助会総会
読売 1968 9 16 <水俣病レポート>もっとお金出して…、かわいそうな入院の子たち
毎日 1968 9 16 最悪の場合、全員で訴訟、水俣病・患者互助会きめる/<解説>交渉は三段階で、一本化に成功
熊日 1968 9 17 厚相20日に熊本入り/水俣病患者を慰問激励
熊日 1968 9 17 <新生面>(江頭社長の水俣工場縮小発言)
熊日 1968 9 17 水俣病治療の改善要求へ/水俣市
西日本 1968 9 17 <恐怖の水銀、水俣病を追って(3)>告発の目/“生命の尊厳”胸に、目前の人間地獄を追う
西日本 1968 9 17 互助会会長らが脱退、水俣病対策市民会議から
西日本 1968 9 17 厚相陳情の内容協議、きょう熊本県と水俣市で
朝日 1968 9 17 水俣病の子の治療施設/行届かぬ看護、訓練、腹たてて連戻す親も/目離せぬ付添婦、入院後にやせた、増減が激しい予算
読売 1968 9 17 法廷闘争派市民会議にヒビ、水俣病、互助会正副委員長が脱会
毎日 1968 9 17 タブー越えて、立上がった水俣病支援/まだ複雑な市民の顔、“会社”に頼る宿命が悩み
毎日 1968 9 17 水俣病・科学技術庁は白紙委任、園田厚相語る
毎日 1968 9 17 <肥後評論>水俣病の“犯人”
熊日 1968 9 18 患者の実態を視察/スウェーデン、クレース教授水俣に
熊日 1968 9 18 水俣病患者への募金預託、八代第一高寮生
熊日 1968 9 18 来春「特殊学級」が発足/水俣病の子供らに福音、湯の児リハビリセンター
西日本 1968 9 18 スウェーデンの教授が水俣病視察
西日本 1968 9 18 <恐怖の水銀、水俣病を追って(4)>追いつめられて/餓死寸前で交渉、調停案、判断もできず調印
西日本 1968 9 18 水俣病児に特殊学級、湯之児病院内、市、あすの議会に提出
朝日 1968 9 18 スウェーデン学者が水俣病を現地視察
朝日 1968 9 18 上野さんがんばって
朝日 1968 9 18 反省足りぬ会社、水俣病発生の責任重大
読売 1968 9 18 “水俣病”をみる、スウェーデンの遺伝学者
読売 1968 9 18 特殊学級をつくる、市議会に提案
毎日 1968 9 18 熊大水俣病研究班と話合う、スウェーデンの学者
毎日 1968 9 18 水俣から“撤収”考慮、チッソ再建計画縮小を表明
毎日 1968 9 18 水俣病の子に特殊学級、来春から、市が条例改正へ
熊日 1968 9 19 チッソ水俣、縮小・撤退は考えず/副社長語る、再建計画予定通り
熊日 1968 9 19 水俣病支援カンパ呼びかけ/全電通労組県支部
熊日 1968 9 19 政府見解、月末に/園田厚相、水俣病公害認定で語る
熊日 1968 9 19 政府見解の発表待ち/<県の水俣病対策>/立たぬ療育、救済策/排水監視など問題山積/事前に働きかけ望む声
西日本 1968 9 19 企業倫理確立せよ、厚相、水俣病でテレビ対談、上野さん苦しみを訴える
西日本 1968 9 19 <恐怖の水銀、水俣病を追って(5)>現代の“城下町”/繁栄のカゲに死が、不即不離―チッソと市
朝日 1968 9 19 産業公害と企業の責任、加藤一郎/社会的責任の自覚を、不信感を生む企業の非協力/個別資本の利害をこえて、最低限度の基準という性格、損害賠償に「証拠の優越」を、総資本の立場で被害者救済
朝日 1968 9 19 「水俣病はじっくり」二川熊本地検検事正着任
朝日 1968 9 19 水俣病患者の子に特殊学級、きょう市議会に提案
読売 1968 9 19 厚生省「公害説」貫く、水俣病などの認定で
熊日 1968 9 20 園田厚相に文書陳情/水俣病互助会、交渉委員の初会合
熊日 1968 9 20 再建計画の遂行を/チッソ水俣工場、地元の要望相次ぐ
熊日 1968 9 20 両労組がチラシ合戦/チッソ水俣工場、“あきあき”と市民側
西日本 1968 9 20 22日に補償要求煮つめる、水俣病患者互助会
西日本 1968 9 20 園田さんに訴える、水俣病患者を救って/ぜひコロニーを、潜在患者発見に住民検診/救済に特別措置法、園田厚相きょう熊本入り/医療センター必要
西日本 1968 9 20 <恐怖の水銀、水俣病を追って(6)>人間回復/社会・病床のかけ橋、一すじの光明を求めて
西日本 1968 9 20 水俣病に刑法を、後田実
西日本 1968 9 20 水俣病児に分校を、水俣市議会、橋本市長が提案説明
朝日 1968 9 20 「水俣病に県側の責任」、再開県議会、社党など追及の構え
朝日 1968 9 20 補償交渉に打合せ、水俣病患者家庭互助会
読売 1968 9 20 救済法の制定急いでほしい、水俣市長、厚相に陳情
読売 1968 9 20 水俣病患者の特殊学級設置、市会に提案
読売 1968 9 20 二つの水俣病で、28日に政府見解
読売 1968 9 20 要求案急ぐ互助会交渉委
毎日 1968 9 20 <企業と人間性>正田誠一、水俣病の悲惨はまたおこる/企業の治外法権、技術革新と人命、加害者と責任者
毎日 1968 9 20 水俣病児童の特殊学級設置、水俣市議会で提案
熊日 1968 9 21 <県記者会見席>水俣病は”学問の遅れ”
熊日 1968 9 21 <県議会>二議員が代表質問/”浄化装置後も水銀”/西島議員、水俣病で県を追及
熊日 1968 9 21 再建計画を再検討/チッソ副社長談話、工場撤退考えてない
熊日 1968 9 21 治療費の全面給付/水俣市、あす厚相へ陳情
熊日 1968 9 21 「水俣病」27日にも結論/帰熊の園田厚相が示唆/救済に特別措置/補償問題、協議会つくり解決を/コロニーには全面協力/被害者の立場で努力
熊日 1968 9 21 水俣病に関する陳情書手渡す、寺本知事
熊日 1968 9 21 紛争処理制度の立法化/知事、陳情書手渡す
西日本 1968 9 21 医療センター建設、潜在患者発見の検診実施、園田厚相本社に回答
西日本 1968 9 21 救済制度の立法化を、寺本知事要望
西日本 1968 9 21 契約第五条は見直す、県議会、水俣病で知事答弁
西日本 1968 9 21 責任追及ムリ、熊本県警本部長語る
西日本 1968 9 21 大臣さん聞いてください/もう泣き寝入りイヤ、水俣病家族が厚相に直訴/”もっと社会をしかって”
西日本 1968 9 21 大臣さん頼みます!、患者家族厚相に涙の訴え
西日本 1968 9 21 ”特別加算”で補償考慮/厚相、水俣病対策で語る、看護科や栄養手当、必要あれば仲介も/大分・対馬は再調査
西日本 1968 9 21 無機水銀ー有機に、久留米大山口教授、食塩の電解段階で、シンポジウム
朝日 1968 9 21 見舞金は押しつけ、西島議員、水俣病めぐる県議会の論戦、知事答弁・当時は正当な契約
朝日 1968 9 21 見舞金契約変更を、寺本知事が見解示す、熊本県議会
朝日 1968 9 21 潜在患者へ追跡調査、熊本県教組支部が始める
朝日 1968 9 21 補償に仲介の労も、水俣病問題で厚相語る
読売 1968 9 21 水俣の再建計画を再検討、チッソ副社長
読売 1968 9 21 <水俣病>園田さん現状視察、「原因はチッソ工場に…救済機関つくりたい」
読売 1968 9 21 水俣病に論議集中(県会代表質問)/刑事責任は時効、県警本部長、知事患者救済へ手つくす/県の調停態度も追及二氏
毎日 1968 9 21 ”公害病”来週に結論、水俣病、厚相・熊本で語る
毎日 1968 9 21 水俣工場廃止の考えはない、島田チッソ副社長
毎日 1968 9 21 水俣病刑事責任は?/すでに時効が成立、熊本県警、殺人・傷害罪を構成、法学者/争点は”未必の故意”
熊日 1968 9 22 <社説>厚相が水俣に行く/風当たりは強くても/厚相への期待
熊日 1968 9 22 新潟の主任弁護士と懇談/水俣病対策市民会議
熊日 1968 9 22 <水俣病>治療に有力手がかり/高橋熊大教授/脳中の有機水銀除去/試験管内で完全に成功
熊日 1968 9 22 水俣病の研究で来熊/スウェーデンの二教授
熊日 1968 9 22 大臣のあっ旋など要望/水俣病患者互助会、厚相陳情書の内容
西日本 1968 9 22 公害調査室は課に、県議会、水俣病問題で知事答える
西日本 1968 9 22 実を結んだ水俣病患者の訴え
朝日 1968 9 22 公害調査室を課へ、県議会で知事答弁、防止条例も再検討
朝日 1968 9 22 <日曜特集>県議会の水俣病論争から/「被害者の立場不十分」、知事は調停の苦心強調/歯切れの悪い答弁、使われぬ装置に満足、批判を受ける条項、工場の監視強める
毎日 1968 9 22 水俣病互助会が補償の勉強、阿賀野川公害の弁護士囲んで
熊日 1968 9 23 園田厚相、水俣病患者を慰問/看護人をふやす/毎年、水質も調べる、異例の現地決裁/”新しい企業の倫理を”/島田チッソ副社長に要請
熊日 1968 9 23 ”重症者は全く悲惨”/厚相記者会見、応急措置講ずる
熊日 1968 9 23 生への戦いに光る涙、水俣での園田厚相/回復訓練児らに声援、沈痛な表情、”ひどい”、”残酷だ”
熊日 1968 9 23 大臣と水俣病患者(写真)
熊日 1968 9 23 有機水銀の無機化処理に成功<熊大衛生学教室>/酸化、還元の二段構え/公害防止に画期的役割
西日本 1968 9 23 ”まかしてください”、胸たたく園田さん/さすが郷土の大臣、泣き伏す水俣病患者/病院長らも激励
西日本 1968 9 23 厚相・患者救済を約束、水俣病/国費で看護人増、実態掌握へ総検診/陳情に”スピード決裁”/補償は五者で話し合い、厚相が提案/水俣市長が五項目要望、医療給付特別立法など
西日本 1968 9 23 訴える言葉も出ず、水俣病患者・厚相と対面/”ひどい姿だ”園田さん、リハビリセンター、怒りがケイレンに/ただ涙…患者家族、ナマの声聞いてと駆けつけたが
朝日 1968 9 23 企業は公害対策優先を、厚相
朝日 1968 9 23 入院の子ら見舞う、園田厚相
朝日 1968 9 23 付添人の費用は国で、水俣病患者対策で回答、園田厚相
朝日 1968 9 23 有機水銀を無機化、熊大衛生学教室で成功/廃液使って実験へ、安上がり、操作も簡単
読売 1968 9 23 水銀公害にまた新説/食塩電解で有機、ソーダ工場ショック/久留米大山口教授
読売 1968 9 23 水俣病に研究補助金、年間200万円、厚相、橋本市長に回答
読売 1968 9 23 第2の水俣病出さぬ、園田厚相、重症患者を見舞う
読売 1968 9 23 「話し合いで解決を」、見舞金にとらわれず
毎日 1968 9 23 公害二法、通常国会に、紛争処理被害救済/水俣病、医療急ぐ、全患者年度内に検診、視察の厚相陳情に回答/調査費からもねん出、厚相談、健保外の治療、投薬
毎日 1968 9 23 無言の怒りひしひし、園田さん、水俣病患者と初対面/回復訓練の子に「いいぞ」とかけ寄る、うつろな目、曇る厚相の顔/「患者を救って下さい」と訴え、深々と頭下げる遺族たち/企業の倫理忘れずに、島田チッソ副社長に要望
熊日 1968 9 25 互助会と行動共に、上野さんが決意
熊日 1968 9 25 水俣病、27日閣議報告に努力/園田、鍋島両相が協議
熊日 1968 9 25 ”潜在患者を調査”/水俣市議会、水俣病で病院長答弁
西日本 1968 9 25 「潜在患者を調べよ」水俣市議会、”水俣病”で質問続く
朝日 1968 9 25 申出あれば診査、水俣市議会で病院長答弁、潜在水俣病患者
読売 1968 9 25 水俣病・疑わしい人も、早急に調査進める、水俣市会で答弁
読売 1968 9 25 水俣病訴訟、互助会に一任、上野さんら一応取り下げ
毎日 1968 9 25 排水監視の強化を、水俣市議会、水俣病に質問集中
熊日 1968 9 26 あす閣議報告に努力、水俣病、園田・鍋島両相が協議
熊日 1968 9 26 水俣市の現地を熱心に視察/スウェーデンの二学者
熊日 1968 9 26 <水俣病>政府見解きょう発表/「水銀による公害病」
熊日 1968 9 26 水俣病の原因は廃液、厚生省の見解原文/企業の責任を明示/救済制度を早急に確立/断を下した園田厚相の”執念”/みなぎる公害への闘志/人間本位の政治と取組む
熊日 1968 9 26 明るい平和な町に/水俣市民協議会が発足
熊日 1968 9 26 水俣病、穏やかに処そう/チッソとは共存共栄をはかれ
西日本 1968 9 26 やっと初光が、水俣病完全実現望む現地、きょう政府見解
西日本 1968 9 26 <安全・公害にいどむ第3部@>荒れる山河、放出される人工毒素、ぜんそくの運び屋“スモッグ”
西日本 1968 9 26 “会社は知っていた”有機水銀の排出、社党議員が追求、熊本県議会
西日本 1968 9 26 水俣病、政府見解きょう発表、企業責任明確に、患者救済策も盛込む
西日本 1968 9 26 水俣病で論議、県議会
朝日 1968 9 26 県当局の弱腰追求、県議会総務委、水俣病で長野議員ら
朝日 1968 9 26 水俣病、きょう政府見解
読売 1968 9 26 きょう公害認定、水俣病/熊大の研究実る、12年目…晴ればれ/自信強める研究班員
読売 1968 9 26 スウェーデン学者二人、水俣病患者を調査
読売 1968 9 26 公害行政の抜本要望、県議会総務委/調査監督権の強化を、予防に重点、防止条例は改定の要
毎日 1968 9 26 漁業再補償要求の態度協議、熊本県漁連
毎日 1968 9 26 水俣病の実情調査、スウェーデンの学者
毎日 1968 9 26 有機水銀に無効、水俣病、浄化装置で県が答弁
熊日 1968 9 27 この日待った苦難の歳月、政府見解に現地の明暗、被災者らの手をつないで/水俣、電話対談新潟、新たに補償要求へ、水俣の中津さん、新潟の橋本さん、ぼかさせた見解に怒り/ホッと安どのため息、患者家族、なお残る前途の不安/水俣/
熊日 1968 9 27 安かれ…四十二人の霊
熊日 1968 9 27 患者救済の立法へ、園田厚相語る
熊日 1968 9 27 <戯画戯評>臭いもののフタをとる、水俣病の原因に断
熊日 1968 9 27 救済措置、県も協力惜しまぬ、寺本知事語る
熊日 1968 9 27 苦闘の15年/<水俣病>/発見から終止符まで/すべて県人の手で/熊大医学部・坂田氏・園田氏大きな功績
熊日 1968 9 27 “工場の大幅縮少も”/江頭チッソ社長語る
熊日 1968 9 27 今後は十分な防止対策を/鍋島科学技術庁長官の話
熊日 1968 9 27 実用段階への検討へ/入鹿山教授、水銀の無機化で協議
熊日 1968 9 27 <社説>水俣病は企業の責任/万全の救済措置を/全企業への警鐘
熊日 1968 9 27 水銀使用35社に排水で通達/通産省
熊日 1968 9 27 政府見解の全文/水俣/新潟
熊日 1968 9 27 <水俣病とわたし>公害病と取り組んだ人たちの声/救済に全力をつくせ/欲しかった早期の決断/キチンとあと始末を/解決、やはり話し合いで/小説「海の牙」の作家、水上勉
熊日 1968 9 27 <水俣病と市民>熊本大学助教授(社会学)越井郁郎/社側の責任は重大/弱い立場の被害者、補償の義務果たせ
熊日 1968 9 27 水俣病の実態を取材/スェーデンの雑誌記者
熊日 1968 9 27 「水俣病は公害」と認定/厚生省・科学技術庁が政府見解/“原因はチッソの廃液”/熊大の研究結果を採用/新潟は「企業責任」不明/<解説>すっきりせぬ新潟/あまりにも遅い“決断”
熊日 1968 9 27 <水俣病事件経過>
熊日 1968 9 27 <専門学者に聞く>疑わしきは押えよ/企業も脱皮の時期に
熊日 1968 9 27 喜ばしい厚相の英断/会社側も率直な態度を/手厚い国の施策を/家族ぐるみ実験に協力/政府の見解は当然/一日も忘れぬ悲惨な姿/“同じ人災”繰り返すな/社会の生いたちに病根/支援待つ患者たち/一生涯を相談相手に/今後も社会福祉活動/国・自治体の暖かい手を/研究班の勇気に敬意/我々漁民こそ被害者/白紙に戻し再補償を/一生忘れられない水俣
熊日+ 1968 9 27 かくせぬ不満の色、“法廷闘争以外にない”/新潟/関係者の話/患者、家族に心からお詫び、被害者の救済策に全力、おそすぎた認定だが、訴え認められてホッと、公害問題を全国的運動に、喜んでばかりもおられぬ、満足できぬあいまいな結論、工場に原因ないと信念
西日本 1968 9 27 つかめぬ処理法、なおチッソに廃液百トン
西日本 1968 9 27 患者支援続ける、市民会議が声明
西日本 1968 9 27 貫いた医師の良心、水俣病発見者の細川博士、圧力に屈せずネコ実験
西日本 1968 9 27 企業は公害に責任を、水俣病政府見解で識者に聞く/誠意で対策考えよ、地域と一体となって繁栄/妥当な基準作れ、中小企業に苦しい負担/水俣病退許されぬ、地元を含め協力体制必要/企業道義として最低
西日本 1968 9 27 原因はチッソの廃液と断定/水俣病に15年ぶり政府見解/メチル水銀を排出、被害救済、急ぎ検討/患者の救済進める、工場排水監視を強化/
西日本 1968 9 27 公害と賠償責任、九州大学教授徳本鎮
西日本 1968 9 27 国も認めた研究データ、追求続けた熊大/“にがい教訓を学んだ”、人道よりも“政治”が優先
西日本 1968 9 27 <社説>水俣病公害認定と今後の対策
西日本 1968 9 27 “人のしあわせが第一”/ついに決断、園田さん、申し訳ないと頭たれる
西日本 1968 9 27 水俣、全面撤退も、チッソの江頭社長語る/この時期になぜ“なぜ”、地元・労組いっせいに反発
西日本 1968 9 27 水俣病に観ずる政府見解(全文)/一、水俣病の本態とその原因/二、水俣病のこれまでの経緯と今後の措置
西日本 1968 9 27 世論に通用する額で、水俣病、こんごの補償/厚相提案、有力な手がかり
西日本 1968 9 27 政府の結論には不満、失望と怒り、新潟の水俣病患者
西日本 1968 9 27 仏前に涙の報告、政府見解に水俣の表情/“なぜもっと早く”肩身狭かった15年間
朝日 1968 9 27 これでいいたいことが…、水俣病政府見解発表/患者家族にやっと“光”、チッソ支社長、各戸をめぐって謝罪/「がんばってよかた」熊大、喜びかみしめる研究班/わびようもない、チッソ徳江支社長談話/結論遅れてすまぬ、沈痛な面持ちで語る厚相/再び繰り返さぬよう、
朝日 1968 9 27 メチル水銀汚染防げ、水俣病見解機会に、通産省35庁に通達
朝日 1968 9 27 遠い公害解決の道、水俣病政府統一見解によせて/「新潟」は骨抜きの感、メチル水銀の検出など、研究は進んだが/遅すぎた結論痛恨のかぎり、ガスクロトマ分析法の開発、まさか魚介に蓄積するとは、苦闘水銀にたどりつく、何度も現地を訪れてこそ
朝日 1968 9 27 科学技術庁長官が語る
朝日 1968 9 27 原因究明段階に問題、水俣病/通産省から圧力、秘密主義が調査の徹底妨害、背後に関係企業の動き/事件処理うやむや、秘密裏に水質調査、けん制された厚生省、調査こばむ会社側、一部学者も妨げに、自治体・労組も連合、公害問題転換期に
朝日 1968 9 27 住民の安全に重点を、自治体の態度で見解、公害対策
朝日 1968 9 27 <人>企業内で水俣病究明に力を傾けた元チッソ附属病院長、細川一
朝日 1968 9 27 <水俣病、「子どもは証言する」@>ねこ/「足が曲がらず死ぬ」/当時は「踊り病」と恐れ/そして現在、なんでいま騒ぐ?
朝日 1968 9 27 水俣病と企業側の刑事責任/藤木英雄
朝日 1968 9 27 水俣病の「企業責任」を明示/政府見解、正式に発表、チッソに原因と断定、「新潟」は昭電排水に基盤/被害者救済へ動く、補償にも影響/社会復帰も研究、調査監視続ける/次の国会に提案、紛争解決の機関設置、園田厚相談/第二水俣病/補償、誠意もち合う、患者遺族におわび、
朝日 1968 9 27 水俣病政府統一見解(全文)/水俣病に関する見解と今後の措置/「新潟水銀中毒に関する特別研究」についての技術的見解
朝日 1968 9 27 世論の力に押され、水俣病しぶしぶの政府見解、小堀厳
朝日 1968 9 27 日人間的な企業罰せよ、黒木征士
朝日 1968 9 27 廃液監視に努力、工場誘致に慎重期す、熊本県知事
朝日 1968 9 27 労組・地元の協力者、チッソ社長語る、再建計画の見通し
朝日+ 1968 9 27 チッソ社長談/昭電犯人説出す、科学長見解に厚生省解説/江頭社長現地へ/公害政策に新局面
読売 1968 9 27 スウェーデンの学者2人、水俣病患者を調査
読売 1968 9 27 /企業責任ひしひし、チッソ支社長、おわびの記者会見/表情暗い阿賀野川、「大臣を信じていたのに…」/悲惨な潜在患者診察計画進める/公害救済の第一歩
読売 1968 9 27 <時の人>水俣病の原因を解明した熊本大学医学部教授、入鹿山且郎
読売 1968 9 27 水俣に“政府の光”苦楽長かった15年/「企業よりも人命」園田厚相、補償に全力尽くす/“公害工場”誘致しない、テープに聞き入る寺本知事/公害条例に罰則新設へ、熊本県の方針/もう奇病でない、ほぐれる苦難の顔/全員の社会復帰を、しめいに生きる白衣の3人
読売 1968 9 27 政府、公害病と認定/水俣病・阿賀野川中毒で見解発表/工場排水が原因、紛争処理・救済制急ぐ/中毒、長期汚染が基盤/「産業優先」が逆転、公害防止措置迫る/生活補助をふやす、チッソ社長談/工場排水が原因と思わない、昭電社長談/公害防止体制を確立、鍋島長官語る
読売 1968 9 27 「待ちに待ったこの日」/“朗報”かみしめる水俣病患者、遺族、胸はって補償交渉、怒り悲しみ消えた思い/夫の霊に涙の報告/やっと報われた、公害研究一筋の喜田村教授
毎日 1968 9 27 「おそるぎた!」新たな涙と怒り/夫は、子は戻らない、どん底生活と戦い十五年、水俣/「公害」病やっと認定されたが、両水俣病/「また原因ぼかした」不満うずまく被害者、阿賀野川/「圧力、中傷に耐え」熊大苦心かみしめる研究班
毎日 1968 9 27 この悲劇/水俣病“犯人”の究明まで/熊大、ねばり抜く、工場の強い反論に届かず/断定さけた科学庁、新潟・阿賀野川の場合、一時は農薬逆流説も
毎日 1968 9 27 ごめんだ公害病<上>/「企業優先」の悲劇、そのカゲに健康が押しつぶされた
毎日 1968 9 27 なぜ早く認定せぬ、直ちに補償交渉始める
毎日 1968 9 27 なにより人命尊重(本社座談会)/防げ“第三の水俣”/強い研究支援を、監視業務にも力いれよ/社会責任の自覚を、住民福祉と生産は別次元/自治体に規制力を/認定、対策早目に、「公害裁判所」造る必要/専門学者の要請急務、原因追求・政治からますな/公害まだ戦後時代、採算論議聞かれぬ米国
毎日 1968 9 27 経過、熊本水俣病
毎日 1968 9 27 公害企業お断り、“水俣病”認定に九州経済界
毎日 1968 9 27 厚生省のペース、原因の所在はっきりと、水俣病の政府見解
毎日 1968 9 27 再補償、問題に、「刑事責任」論議よびそう
毎日 1968 9 27 支援を続ける、対策会議、一般市民“企業も大事”と複雑
毎日 1968 9 27 <水俣病>公害認定取材メモ/なにをいまさら、15年ぶり結論に喜びの声なし/日々猛烈な圧力/急に変わる発言、住民を忘れた政治家たち/問題はこれから、黒い流れ乗越えた互助会
毎日 1968 9 27 政府、は“公害”と認定/政府、両水銀中毒事件で/汚染源は工場廃液、チッソ水俣、企業責任を打出す/中毒の基盤、昭電に、患者との関連断定できぬ/「昭電が犯人」断定を
毎日 1968 9 27 政府見解に従う、チッソ社長談
毎日 1968 9 27 <二つの水銀中毒、事件の政府見解(要旨)>水俣病、阿賀野川事件
毎日 1968 9 27 廃液取り締まり強化、寺本知事語る
毎日 1968 9 27 発表の遅れ遺憾、救済、今後の対策に努力、園田厚相談
朝日 1968 9 29 「すみません」とチッソ社長、水俣病患者宅を回り陳情/「誠意つくします」、“いまさらおそい…”と遺族
朝日 1968 9 29 “園田厚相の助言待ち”、患者互助会、苦慮する補償要求
朝日 1968 9 29 魚の奇病/「悪い水」人間にも害/苦しい生活から憤り/そして現在/少なすぎる補償金
朝日 1968 9 29 <水俣病、「子供は証言する」B>
読売 1968 9 29 チッソ社長がおわび、患者宅、一軒一軒たずねる
読売 1968 9 29 <ふるさと文学抄(65)>水上勉「海の牙」(水俣)/“巨大な軍艦”の廃液、水俣病にペンで挑戦/作品の周辺、推理小説に新風
読売 1968 9 29 水俣病補償/厚相にあっせん依頼/患者互助会、意見調整つかず
毎日 1968 9 29 チッソ社長、“駆足”のお見舞、冷たい応対、患者や遺族
熊日 1968 9 30 救済基金で難航か/公害対策審、結論を急ぐ
熊日 1968 9 30 神妙な顔の会社代表/満員の会場、盛んな拍手、水俣市発展市民協大会
熊日 1968 9 30 “水俣病の早期解決を”/市民協議会がスタート
熊日 1968 9 30 全面撤退ありえぬ/江頭チッソ社長言明/補償は積み上げ方式で
西日本 1968 9 30 『チッソ再建に協力』、水俣病発展市民大会が決議
西日本 1968 9 30 “患者も四万市民も”、チッソ社長へ水俣の声、誠意で工場再建を
西日本 1968 9 30 公害に“総監視体制”、厚生省、具体化急ぐ/泣き寝入り防ぐ、被害者の救済へ法整備/基地騒音の調査も
西日本 1968 9 30 “全面撤退”ありえぬ、江頭チッソ社長、水俣で語る
朝日 1968 9 30 『チッソ再建に協力』、水俣病発展市民大会が決議
朝日 1968 9 30 見舞金契約破棄せぬ、チッソ社長、記者会見で語る/<解説>プラスアルファを考慮か
朝日 1968 9 30 水俣市発展市民大会開く、チッソ再建も支援
朝日 1968 9 30 <水俣病、「子どもは証言する」C>対立/親兄弟でさえ反目/教師からも冷たい目/そして現在/患者は国で面倒を
朝日 1968 9 30 “全面撤退”ありえぬ、江頭チッソ社長、水俣で語る
読売 1968 9 30 見舞金に積み上げ、チッソ社長、補償金で語る
読売 1968 9 30 「水俣病」はイヤ、病名変えてと市民立ち上がる
毎日 1968 9 30 患者支援と会社残留、水俣市民大会で決議
毎日 1968 9 30 現契約に上積み、水俣病補償、チッソ社長語る