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9 第1巻 - 9 北条時政書下 刊本12号
10 第1巻 - 10 阿蘇社領家下文 刊本13号
9
(建久九年・1198)十二月十五日
北条時政書下<かきくだし> 刊本12号
北条時政が、前の片寄せによる健軍・甲佐社領化を覆そうとする郡司らの訴えによる在庁官人等の新任国司(藤原頼範)への働きかけに対し、それが不当であることを在庁官人らに触れ示すように阿蘇大宮司に指示したもの。「証文三通」は、建久六年二月の国司庁宣と二月八日の留守所下文および三月 日の立券状であろう(刊本8号の「甲佐社領文書案」はその写し)。なお、本状とこの三通を加えた四通は、訴訟などに際し証拠文書等として使われ、貞和五年(1349)には甲佐社司神官等が受け取り状を書いて受領しており(刊本124号)、長く基本文書として伝えらえたことがわかる。(工藤)
10
正治二年(1200)四月十五日
阿蘇社領家下文 刊本13号
阿蘇社領家の政所が、宇治惟継(次)を阿蘇・健軍・甲佐三社の大宮司に還補したもの。任期満了によっていったん他の人物を補任していたが、供僧<ぐそう>・祝らの訴えで還補するとあるので、本来大宮司には任期があったものと見られる。惟次の大宮司相続には曲折があったが、これ以降惟次の大宮司と阿蘇氏惣領<そうりょう>としての地位は安定する。(工藤)