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「文亀三年」(1503)十二月十九日
菊池氏老中連署状 刊本295号
惟村系・惟武系両阿蘇氏の緊張した対立は継続したが、宝徳三年(1451)、阿蘇南郷の惟兼の子惟歳を矢部の惟郷の子惟忠の養子とすることが一族の老者によって決められ、ようやく統一へと向かうことになる。そして十六世紀の阿蘇氏は矢部「浜の館」を本拠に、阿蘇郡を中心とする阿蘇社領や益城郡一帯に大きな勢力を維持するようになった。
十六世紀初頭、守護菊池能運は家臣団の分裂によって守護所隈府を一時追われるが、文亀三年(1503)に復帰すると、矢部の阿蘇惟長に木山城(現益城町)への入城を勧め、それをもって肥後南部の敵対勢力に対抗しようとした。
この書状は、そうした能運の計略過程において菊池氏家老から阿蘇氏家老に送られたもので、両者による木山周辺の所領支配をめぐる交渉の様子が示されている。(稲葉)