HOME > 各巻一覧 > 第1巻 > 5 第1巻 - 5 肥後国司庁宣 刊本7号

文書詳細

利用上の注意

それぞれの画像は、学術研究活動など非営利目的で個人的に利用することは自由ですが、転載・再配布などをされる場合は事前に許可を得る必要があります。詳細は取扱要領をお読みください。

第1巻
5

第1巻 - 5 肥後国司庁宣<こくしちょうせん> 刊本7号

第1巻 - 5 肥後国司庁宣 刊本7号
5 第1巻 - 5 肥後国司庁宣 刊本7号
5

建久六年(1195)二月 日
肥後国司庁宣<こくしちょうせん> 刊本7号

在京の肥後国司(藤原敦綱)が、阿蘇・健軍・甲佐の三社への従来の免田<めんでん>分の例下米<れいげまい>支給をやめ、一定地域の田畠を各社の独自の支配地とする(片寄)よう命じた前年閏八月十五日の宣旨<せんじ>に基づき、特に甲佐社領について在庁官人<ざいちょうかんじん>らに指示したもの。本状を受けて、二月八日に留守所下文<るすどころくだしぶみ>が出され、三月に立券<りっけん>(場所および田数の決定公認)が、官使・府使・国使および南・北小川の八代北郷、勾野<まがの>の宇土郡、堅志田<かたしだ>の益城上郷、津々良の益東郡と、各免田所在の郡・郷司の立会いのもとで行われた。(甲佐社領文書案 刊本8号 原文書は阿蘇惟之氏所蔵文書中にあるが痛みが著しい)。源平の内乱は、国衙機能の麻痺を招き、従来の免田分の例下米の支給が困難となった。阿蘇社の訴えに対し、国衙は朝廷に奏聞し、甲佐・健軍両社分として公田三百町分を片寄せして不輸の神領化するよう求め、宣旨で認められた。(工藤)

各巻一覧(第一巻~第三十四巻)

  • 阿蘇家文書
  • 第1巻
  • 第2巻
  • 第3巻
  • 第4巻
  • 第5巻
  • 第6巻
  • 第7巻
  • 第8巻
  • 第9巻
  • 第10巻
  • 第11巻
  • 第12巻
  • 第13巻
  • 第14巻
  • 第15巻
  • 第16巻
  • 第17巻
  • 第18巻
  • 第19巻
  • 第20巻
  • 第21巻
  • 第22巻
  • 第23巻
  • 第24巻
  • 第25巻
  • 第26巻
  • 第27巻
  • 第28巻
  • 第29巻
  • 第30巻
  • 第31巻
  • 第32巻
  • 第33巻
  • 第34巻