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第11巻
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第11巻 - 12 肥後阿蘇社領内上竹原郷注文(後欠) 刊本199号 第11巻 - 13 征西将軍宮(良成親王ヵ)令旨 刊本200号

150 第11巻 - 12 肥後阿蘇社領内上竹原郷注文(後欠) 刊本199号  / 151 第11巻 - 13 征西将軍宮(良成親王ヵ)令旨 刊本200号
150 第11巻 - 12 肥後阿蘇社領内上竹原郷注文(後欠) 刊本199号
151 第11巻 - 13 征西将軍宮(良成親王ヵ)令旨 刊本200号
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至徳元年(1384)四月十二日
肥後阿蘇社領内上竹原郷注文(後欠) 刊本199号

阿蘇谷西郷にふくまれる上竹原郷(現、阿蘇市竹原とその周辺)の基本帳簿で、前半が天授三年(1377)に作成された「田地坪付<でんちつぼつけ>」の写(至徳元年四月十二日に書写)、後半が至徳元年四月十二日の「居屋敷之坪付」という二部構成からなる。ただし、原本が残っているのは本文九行目までで、それ以下の内容は「阿蘇文書写」によらざるをえない。作成者は西郷を管轄した阿蘇社の権<ごん>大宮司であり、上竹原郷の田地の再把握(本帳確認)と居屋敷の現状把握を目的としたものであろう。「田地坪付」は、仏神免田、御用作<ごようさく>分、村分、武家・社家・沙汰人の給分などに区分されたうえで、田地の所在・面積・負担種別が一所ごとに書き上げられている。総田数は六十一町五反一丈で、正平十一年(1356)十月八日の「上竹原四家分検見注文」(刊本153号)の五十四町三反中より増加している。「居屋敷之坪付」が記す八十七か所の中には、軍勢の陣所、殿原・神官・僧侶・沙汰人・手工業者の屋敷、市屋敷がみられる。(春田)

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元中元年(1384)十一月廿一日
征西将軍宮(良成親王ヵ)令旨 刊本200号

征西将軍宮良成親王が、阿蘇社に豊前国今任荘を寄進する旨を伝えた文書。宛所の「阿蘇大宮司」は阿蘇南郷に本拠を持っていた宮方大宮司の阿蘇惟政である。今任荘は現在の福岡県田川郡にあった荘園であるが、同荘に惟政の実質的支配が及んだか否かについては不明である。前号の惟村と、惟政の父惟武は、ともに宮方として活躍した大宮司惟澄の子息であったが、惟村が矢部に本拠を持ち武家奉公によって守護職を獲得して家督継承の正当性を主張したのに対し、阿蘇南郷の惟武・惟政は惟澄と同様に征西府と結びついて阿蘇本社大宮司職以下の相伝知行を主張していた。阿蘇氏の両統(矢部・南郷)への分裂・対立は、九州における十四世紀内乱の縮図でもあった。(稲葉)

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