犬童康弘先生 (医学部附属病院 小児科)

犬童先生

Q.先生の研究内容について教えてください。

 先天性無痛無汗症(Congenital Insensitivity to Pain with Anhidrosis: 以下CIPA)と呼ばれる遺伝性疾患の研究を行っています。生まれつき痛みの感覚がなく、汗をかくことができないという稀な疾患です。私たちは生後1ヶ月のCIPA患児との出会いをきっかけにして研究を開始して、その原因をはじめて明らかにしました。(この研究の経過については、熊大学術リポジトリに掲載した、以下の論文で紹介しています)

犬童康弘 / 先天性無痛無汗症 : わが国の小児科医・研究者によって新たに提唱・発見された疾患, 疾患概念, 原因の究明された疾患17, 小児内科, 40(10), p1701-1707, 2008

実は身近な遺伝性疾患
 CIPAの患者数は国内では100名前後とされています。遺伝子の機能喪失を原因とする非常に稀な疾患です。患者の父親と母親はこの疾患の原因となる変異遺伝子を1個ずつ持っていますが、発症せず病気としては現れない遺伝的保因者です。例えば100万人に1人が発症すると言われると、そんなに稀なら自分には関係ないと思ってしまうかもしれませんが、500人に1人は遺伝的保因者なのです。2~3万個ある遺伝子の中で、誰もが必ず10個くらいは遺伝病に関連する変異遺伝子を持っていると推定されています。病気の症状が出ないのは保因者の状態にあるからです。みんな何も異常がないと思っていても本当はそういったものを持っているし、それが普通なのです。
 社会一般の人たちには、まだ遺伝性疾患についての誤解もあるようです。ヒトの遺伝についての理解が深まり、このようなことが、広く一般に知られるようになると、遺伝性疾患についての考え方も変わるのではないかと思います。

「痛みを伝える神経」と「交感神経」のはたらきと内感覚の概念
 研究を進めていく中で、CIPAの子どもたちには「痛みを伝える神経」と自律神経の「交感神経」がないことが分かりました。触った感じは分かるが、熱さや痛みが分からないのです。彼らを診ることによって「痛みを伝える神経」や「交感神経」が、健常な人たちでどういう働きをしているかが分かってきました。

 バラの棘で皮膚をひっかくと周りが赤くなり腫れて痛くなる炎症反応がおこります。私たちは血液とか免疫によって炎症反応が起こると教科書的には学んできました。しかし、CIPAの子どもたちでは、私たちのように赤くなる反応や痛みが起こらないのです。このことから、炎症反応には「痛みを伝える神経」が関係していることが分かってきました。
「痛みを伝える神経」は枝分かれしていて、痛みの刺激があると1つは脊髄を通じて脳に伝わっていきます。それとは違って、もう1つ血管を拡張させたりするものが分泌され赤くなる反応を起こす軸索反射の経路があることが分かってきました。炎症反応に神経が関与していることは古くから知られていましたが、「痛みを伝える神経」が大事だということがCIPAの子どもたちから分かってきたのです。

神経は普通、視覚なら光に対する反応といったように特異的に働きます。しかし、「痛みを伝える神経」は痛みだけでなく、痛みとして意識されないかゆみや炎症に関わる生体物質、体の中の変化、暑さや涼しさなど様々な刺激にも反応するので「poly(多い)」「modal(様式)」といった意味から「ポリモーダル受容器(polymodal receptor)」とよばれることもあります。
視覚や触覚など外から受ける刺激を感じることを外感覚と言います。温覚・痛覚といったものは単にそれが強くなったものと考えられてきましたが、実際には伝える神経が違っているのです。最近、内感覚(interoception)という概念が出てきて、「ポリモーダル受容器」が体のあらゆるところに網の目状にあり、自分の体の中をモニターしているという概念が出てきました。熱いものに手を近付けると熱さを感じるので、外の感覚と同じと思われていましたが、実際には自分の体の中の変化を感知しているのです。例えば、暑いと感じたら「ポリモーダル受容器」がシグナルを脳に送り、脳は血管を拡張させて熱を放散し汗をかいて体温を下げようとします。この発汗作用は交感神経により調節されています。寒い時に血管を収縮させて熱が逃げないようにし、鳥肌が立つのも交感神経による反応です。外の温度が変化しても体の温度を一定に保つホメオスタシス(恒常性)に「ポリモーダル受容器」による内感覚と交感神経が役立っているのです。
CIPAの子どもたちはこの「ポリモーダル受容器」と「交感神経」が欠損しているので、体温調節ができません。そのため夏は高体温になり冬は低体温になってしまいます。

「心と身体」の関係と情動
 また、「痛み」は「情動」とも密接に関連しています。情動には「身の毛もよだつ」「胸が躍る」「手に汗を握る」といった表現があるように、胸がドキドキしたり手のひらが汗ばむといった交感神経の活動による身体的な反応が必ず起こります。情動的な反応がおこるためには「痛みを伝える神経」と「交感神経」がうまく働かないといけません。例えば、猫が犬に出会った時、猫は毛を逆立ててうなり声をあげしっぽを立てます。よく見れば瞳孔が開き肉球が少し濡れて脈拍も上がっているはずです。人間も怒ったりけんかをするときにはそうなります。これらは自分の体を守るための反応です。痛みもそれと同じです。程度の大きい小さいはありますが、私たちはそういったことを毎日感じながら成長して学習していきます。1回怖い目にあったら、2回目からは学習して避けるようになります。しかし、CIPAの子どもたちは痛みを感じて学習することができないため、危険な行動によって骨折を繰り返したり、加減が分からないまま飛んだり跳ねたりすることで足や膝の関節に過度の負荷がかかり関節が破壊されて変形し、歩行機能に影響が出ることもあります。痛みはつらいものですが、痛みの無い生活は危険なことです。
 「脳と身体は切り離せない」「心と身体は切り離せない」と漠然と言われていますが、「痛みを伝える神経」と「交感神経」が脳と体をつなぐ重要な神経だということが分かってきたのです。

 現在、CIPAの研究を通じて学んだことをもとに、臨床医学と脳神経科学の両方の視点から、ヒトにおける「脳と身体」の関係について、別の言い方をすると「心と身体」の関係について明らかにすることを目標に研究を続けています。

Q.熊本大学学術リポジトリを知ったきっかけを教えてください。

 初めは図書館からのメールや各教室へのアナウンスで知りました。私がリポジトリに寄稿した理由はいくつかあります。

研究内容の一般の人たちへの公開
 私たちがしているような遺伝子の研究はお金がかかるので、科学研究費などを取得していますがその研究成果として投稿した論文は限られた研究者しかアクセスできません。リポジトリは誰でもアクセスできるとのことでしたので、公的な研究機関に属するものとして広く一般の方に知ってもらういい機会になると思いました。

発展途上国の研究者にもアクセスが可能
 私の共同研究者には、バングラデシュやカンボジアからの大学院生もいました。彼らの名前が載っている論文をリポジトリに入れておけば、帰国した後も自国からインターネットでアクセスして自分の実績として紹介できるのではないかという思いもありました。
発展途上国でも、近年自国で出生前診断などの遺伝子検査ができるようになってきました。その時にどの遺伝子を調べればいいか具体的な方法について知りたいという問い合わせがありました。雑誌のサイトからPDFをダウンロードして送ることはできなかったので、遺伝子解析の方法論についてリポジトリに寄稿した論文を紹介したこともあります。

例:Congenital Insensitivity to Pain with Anhidrosis: Novel Mutations in the TRKA (NTRK1) Gene Encoding A High Affinity Receptor for Nerve Growth Factor, American Journal of Human Genetics, 64(6), 1570-1579, 1999

電子化される以前の論文
 電子化以前に出版された論文は、雑誌のサイトでもアブストラクトしか掲載されていなかったり契約外になっていたりしますよね。例えば、私たちが先天性無痛無汗症について最初に発表した論文は、掲載誌が電子化される以前のものです。こちらを引用して欲しいのに、電子化後に出した論文の方が見つけやすいからか引用が多くなっていました。リポジトリに入れておけば古い論文でも形が見えるようになるので、こちらを引用してもらえるのではという思いもありました。

例:Mutations in the TRKA/NGF receptor gene in patients with congenital insensitivity to pain with anhidrosis, Nature Genetics, 13(4), 485-488, 1996

著作権の問題
 電子化以前は海外の研究者などから別刷り請求のハガキがくると、別刷りを郵送していましたが、最近はPDFファイルを送って欲しいと連絡がきます。しかし、雑誌によっては著作権の問題でそれができるとは限りません。このような場合でも、出版後一定の期間が経過したらリポジトリへの掲載が許可されることもあるので、誰にでも読んでもらえるようになります。例えば、「Expert Review of Neurotherapeutics」という雑誌は出版後1年が経過すればリポジトリに掲載することができます。

例:Nerve growth factor, pain, itch and inflammation: lessons from congenital insensitivity to pain with anhidrosis, Expert Review of Neurotherapeutics, 10(11), 1707-1724, 2010

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熊大リポジトリ版はこちら

Q.熊本大学学術リポジトリについてご意見、ご感想をお願いします。

 附属図書館のリポジトリは、大学からの情報発信の手段として、また科学研究費など公的な資金の援助を受けて行われた研究成果を社会に広く公開して理解してもらう手段として、これまでに以上に重要な役割を演じることになると思います。そのためには、リポジトリの充実が必要不可欠です。今後、多くの研究者から賛同が得られることを期待しています。

犬童先生、ありがとうございました。


インタビュー日:2011年9月26日
インタビュー担当:廣田(教育研究推進部図書館ユニット 利用相談担当)
記録担当:柿原(教育研究推進部図書館ユニット 医学系分館担当)