慶長13年正月8日 『細川忠興駿河御普請中掟』<ほそかわただおき するが ごふしん ちゅう おきて> 【熊本大学所蔵 松井家文書】

関ヶ原合戦からわずか7年余りのち、幕府は細川家を含む西国諸大名を駿府城普請に動員した。そのとき、忠興が細川家の現場責任者4名に対して、駿府の普請場で守るべき規律を書き上げ、交付したのが本文書だ。檀紙を2枚張り合わせた様式が細川家当主の掟書にふさわしい体裁を示している。

全体に一貫するのは、他大名の普請衆との「喧嘩」につながる可能性のある行為の徹底禁止で、宴会や相撲、それに他家の風呂に入ることさえ厳禁している。駿府城普請掟の原本としては毛利輝元制定のもの(毛利家文書)が知られ、本文書の発見はそれに次ぐもの。内容にも共通点が多く、幕府から諸大名に掟の見本が示された可能性が高い。数年前の敵味方どうしを城普請に動員して共同の作業に従事させることは、「天下泰平」の確立のための幕府の戦略であった。

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慶長13年正月8日 細川忠興駿河御普請中掟(ほそかわただおき するが ごふしん ちゅう おきて) [寸法 47.0×127.8cm]【熊本大学所蔵 松井家文書

補足情報

 

細川忠興駿河御普請中掟(修復後・全体)

『細川忠興駿河御普請中掟』(修復後・全体)

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解説者情報
稲葉継陽 永青文庫研究センター長